私は初め会館建設の発表を聞きました時、
内心忸怩たるものがございました。
と申しますのは、大方の新興宗教の在り方として、その教え、
その宗教の勢力拡張の為に、
ある点まで勢力の伸びが出来たとなると途端に急遽、
広大な土地と建物を建造してその伸展勢力を誇示します。
心なき人々はその勢に圧倒されて、
その教え、その宗教の内容のいかんをも知らず、
それこそ邪正の道路も弁えずに群集して迷いをばく露している有様です。
一方、浄土真宗の親鸞聖人は関東のお弟子達が信者も増し参詣する人々の数も増えて来ましたので伽藍堂閣を建造いたしましてはとの申出でに対して
「決してその必要はない。
ただ参集する人々の便宜の為ならば遠方からでもよく見える様に一般の民家よりは幾分屋根を高くするだけで結構」
と仰せのありしと聴聞いたしましたことが耳の底に留まっていますので
会館建立の御心底を計りかねておりました。
しかし現在の会館では、バラック程度で耐久力もなく、いささか狭隘にもあるから、
あの地所一杯に本建築に改造されればよいのでは、と愚考して居りました。
しかし今度の会館の狭い降誕会の実状を目撃して
これではとてもとてもということがよく理解できました。
御身体を張られて唯一無二の正法御宣布に正しく強く伸展する浄土真宗でありますことを確信させて頂いて居りますただ今の私は一日も早く会館の竣成を念願する者と目覚めました。
会館の建設は単なる勢力の発展拡大を誇示するものではなかった。
仏教の精髄を世界人心に教導なされた親鸞聖人の教えを徹底させる為のものであった──
ということが、そういう正しい認識が人の心を震撼させる日がきっと来ることを今は深信している私でございます。
有難うございました。