先生今日も在家のお宅で昨日の続きを一生懸命説いて頂き、
もっと聞きたい気持で一杯でした。
名のみの御本願だけでなく先生から弥陀仏の御心の御本願をおききしたいのです。
私は最近、先生の御説法はとても判り易く快よく明瞭なお言葉でいわれると判りました。
善知識はまるで小学一年生の私に大きなハッキリした平がなを教えて下さるようにお話し下さいました。
もうそれだけでも嬉しゅうございます。
今まで周囲の方が善知識と仰言るので私も心十分もないのに善知識と簡単に言っていた気がするのです。
先生、でも今は違います。
絶対無二の弥陀の真実の暖かい慈悲一杯の善知識と判りました。
それにこの度信心の本当の意味もハッキリ判り嬉しいです。
まことの心、真実の心、仏心ですね。
今まで私が信じるのだとばかり思っていました。
京都に来る決心をする時、ただ皆んながいいいいといわれますからファと何気なく、とにかく先生の処に行けば間違いなかろうと思っておりました位です。
今しみじみとこちらに来て良かったと喜こばずにはおれません。
これ偏えに阿弥陀仏のおかげだと感謝致しております。
でも本当の阿弥陀仏のお立ちづめの御心が分からないのです。
お立ちづめの阿弥陀仏さま、そして判り易く弥陀のお心を伝えて下さる親鸞聖人に済まないと思います。
主人の友人のお父さまも、
「すごく分かりやすい説法だなあ」
といわれておりました。
滋賀に御縁があるたびに誘ってあげたいと思っています。
これからどんな変わり方をされるか楽しみでございます。
何せ、ありとあらゆる教えを聞いて来られた方ですから。
私も同じ年頃の両親を思うにつけ少しも仏法の有難さ重要さを伝えてあげない親不孝も淋しく申し訳なく思われます。
もっと
親孝行します。