三日間の岐阜での聴聞もほとんど好天に恵まれて終了したが、
私は任務を満足に全うできぬままその2ヵ月間の随行の幕を閉じた。
残念無念の気持一杯で、富山に着けばいつもより早目に床をとり、
明日からの活動に力を入れようとひそかに思っていた矢先の事
善知識は突然こう仰言った。
「家に着けば十時になるね。
しかしすぐに寝れないね」
一同「どうしてでしょうか」
「今から帰っても仕事が沢山あってね。
岐阜に行っている間の分をやらなくてはならない。
明日に回せば良い様なものだが、その日の内にやらなくては気がすまんのだよ。
性格だろうね。
小中学生の頃からすでにそうだった。
宿題をやらないと遊べなかった。
何でもその日の内にやらなくては眠れないのだよ。
しかしこんなのは長所でもあり短所でもあるだろうな。
だって無理して体をこわしたら何もならんじゃないか」
3日間ぶっ続けで説法をされ、なおかつ6時間もアイスバーンのまざった極めて道路状態の悪い道を運転されての言葉だから私達同乗の者ははるかに人間の域を脱した方だと思った。
善知識がこんなに命をすり削って本当の
親鸞聖人の教えを説いて下さるのに、
私達は何日「今日求めねば明日はない」と命を削ってまで求めた事があるだろうか、
猛省せずにおれない。