ある人が
「百円で箱根をドライブし温泉に入って、山菜料理を食べて帰ってこられる方法を教えてほしい」
とコンピューターに尋ねた。
答えは「バカヤロー」だったという話がある。
つまりは自分にそれだけの条件がそろっていないのに
“ぬれ手にアワ式”にやたらとそれ以上のことを望んでも、
コンピューターにまで一喝されるということだ。
親鸞会は本願寺の教えを親鸞聖人の教えと異なるとして攻撃してきた。
これに対して
「親鸞会はあんなに本願寺を攻撃しなければもっと人も集まるだろうに」
という声を聞くことがある。
しかし今の東西本願寺は
後生の一大事の解決方法を
「念仏さえ称えておればよい」とか、
「聴聞している時に眠っていても毛穴から仏法は侵み込む」とか教え、
全く努力せずして結果のみを得ようとしているので
「こんなことで助かるでしょうか」
と、コンピュータにかけたら
「ネトボケルナ」という答位しか返ってこないようなことばかりである。
真剣な聴聞をして
信心決定しなければ絶対助からないのである。
故に親鸞会の一連の本願寺破邪は
現在の真宗教団に絶対必要なことなのだ。
決して非難のための非難ではなく、
真実を顕かにするためのものである事を知って
最後まで聴聞してほしいものである。