「愛する」私達は日頃良くこの「愛する」という言葉を使う。
「私は貴女を愛しています」
と奇麗な事を、言うが、私達はどの様な時に人に
「愛する」という事を言うのだろうか?
相手を好きになる!
という事は相手を自分一人の者にしたい!
独占欲を満たそうとする。
この
欲望をはなれて相手を好きにはなれないのが私達の常である。
本当の愛というものは、相手の幸福を願うことである。
そうすれば私達が幸福を感じるのは「自由」な時である。
されば相手を愛するという事は相手に自由を与える事なのに、
ガンジガラメに相手を自分にしばりつけ様とする愛欲の醜い相がある。
親鸞聖人は「悲しき哉愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し……」
と悲痛な
懺悔をしておられる。
自分には到底想像する事も出来ない、
真実
信心の妙味の一端がうかがえる様な気がするのである。
一座の
浄土真宗の御法座も真剣になれない自分だが一日も早く、
その身になりたいと思うばかりである。