十二月富山県のあるお宅にて
「もとより罪体の凡夫大小を論ぜず。三業みな罪に非らずということなし」
(口伝鈔)
とありますが、チョット物をほしいと思うた罪も
人を殺した罪も同じなのですか、
とすればその一つの罪の重さはどれ程でしょうか」
と
親鸞会の講師にお尋ねしますと
「どんな罪にも大小はなく一つの罪の重さは
『一人一日のうちに八億四千の思いあり、
念々に為すところこれ皆三塗の業なり』
とある様に
地獄に堕ちる程の罪です。
「それなら私達家に住んでいますが、
この木を切る事もダイコンや人参を食べる事も
罪になりますか」
「広く絶対から見れば皆罪です」
何を盗んだ罪よりも、何を殺した罪よりも一番恐しいのは
阿弥陀如来を疑っている罪なのだ。
しかしどんな疑い深い私達にでも真面目に自分を見て行くならば
疑う事のできない事が二つある。
かならず死ぬという事と罪悪深重であり必堕無間であるということである。