世界の光と仰がれている釈迦牟尼世尊が御入滅になったのは、約2600年前の2月の15日であった。
今日、
涅槃会といわれているのがそれである。
釈尊は、印度のカピラ城主、浄飯王の長男として生れ、仏になられるまではシッタルタ太子と呼ばれていた。
19才の時にはインド第一の美人といわれたヤショダラ姫と結婚して翌年、玉のような男子、
ラゴラを産んでいられる。
だから、釈尊には生れながらにして、最高の地位、名誉、財産、女性が与えられ思うまゝの生活が出来た人であった。我々が、その中の一つでも得ることが出来れば、どんなに幸福であろうかと日夜、願い求めているものを釈尊は全部持っていられた。
釈尊の成仏
ところが、その釈尊が29才の2月8日、突如、それら一切の名誉地位財産、妻子を捨てて、入山学道の人となられたのである。
「この世の一切のものは常住しないのだ。いづれの日にか衰え、いづれの日にか亡ぶのだ。歓楽つきて哀情多しといわれるではないか快楽のカゲにも
無常の響きがこもっている。美女の奏する絃歌は
欲望をもって人を惑すのみだ。
人生は苦悩に充ちている。猛き火の如く、浮べる雲の如く、幻や水泡の如きものではないか。
若きを愛すれどやがて老と病と死の為に壊れ去るものばかりだ」
という人生の実相を洞察なされた釈尊は、常住不変の絶対の幸福は何か、何処にあるのか。
それこそ万人の求むる究竟のものではないかと自覚せられ勤苦六年、35才の12月8日、遂に大悟徹底、三世十方の実相を
諦観せられ三界の大導師たる
ブッダとなられたのである。
仏陀釈尊の宣言
かくして80才2月15日御入滅せられるまでの45年間の布教伝導が開始された。
この45年間の釈尊の説法を悉く書き残されたものが今日の一切経といわれるものである。
故に、俗に七駄片馬といわれるようにぼう大な数にのぼっているが、釈尊出世の本懐は唯一つ、
阿弥陀如来の本願にあったのである。
その証拠にいよいよ
阿弥陀如来の本願を説かんとせられた時、弥陀三昧(大寂静ともいう)に入って、所謂、五徳瑞現せられて、並いる弟子達を驚嘆なされ、「これより如来の出世の本懐を説き示そう」と厳粛に宣言なされている。
しかも、最後には「特留斯経」と仰言って、「今まで私の説いた一切の経典が滅尽する時がやって来ても、この弥陀の本願を説いた
大無量寿経(無量寿経)のみは残るであろう。
そして一切の人々を平等に真実絶対の幸福に救済するであろう」と予言なされている。
かくて説法の終わられた釈尊は如何にも満足そうに
「これで如来として為すべきことは皆、なし終った」
と慶喜なされている。
これを
浄土真宗の
親鸞聖人は
「如来この世に出興する所以は、唯、弥陀の本願海を説かんが為なり」(正信偈)
一切経を反古にするな
されば釈尊の一代教といっても阿弥陀仏の本願に収まる。
釈尊の御命日にあたって釈尊の洪恩に報ゆる道は唯一つ、阿弥陀仏の本願を聞信し、早く
信心決定することだ。
釈尊に対する報恩は弥陀の本願によって我々が絶対の幸福になることに極まるのである。
現在只今、我々の昿劫流転の魂が解決出来なければ釈尊の御苦労は水泡に帰し、一切経はホゴになることを牢記しなければならない。
釈尊を生かすも殺すも、我々が
他力の信心を獲得するか、しないかにかかっていることを釈尊の御命日に深く感ぜずにはおれない。