ある日の岐阜県での
浄土真宗の御法座の時のことです。
お部屋に善知識のお姿が、見えないので、私は外に出て行きました。
すると、車庫の所で、お車の方向変えをしておられるところでした。
そして、そのあと
「来たからには、帰る準備をしておかないと安心できないからね」
といわれます。
「はい、そうですね」
というと
「人間、生れたからには死の準備をしておかないといけないね」
その時、私はもう、何とも答えることが出来なくなってしました。
この世のことなら、大変よく判ります。
来た以上は、次は帰らねばなりません。
その為に準備するものは、しておかないと落ち着かず、安心出来ません。
それなら今、生れている限り、次は、必ず死が来るのですから、その準備がある筈なのに、何にもしておりません。
それなのにどうして、のんきに安心しておれるのでしょうか。
本当なら、何か、心配か不安がある筈なのに少しもそれを感じられません。
後生の準備は、この世の如何なる準備より、もっともっと大切です。
善知識の言動の一言半句、一挙一動が、私の胸に突きささる思いがします。
のんびり構えている私を常に鞭打って下さるのでした。