滋賀県の60代の親鸞学徒が教学を学ばれ、
気力で大導師を克ち得た。
私以上の高齢でありながら、これをやり遂げられたことは、なみなみならぬ御苦労があったと推察致する。
教学を敬遠する高齢の親鸞学徒の中での今回の快挙は、我々の模範とすべきものであります。
「教学をすることは宿善になるのだから、青年部だけでなく、一般部の人も大いに教学をやりなさい」とのことですが、この記事を読みまして、私にも、教学をうけたいという心が強く出て参りました。
かなわぬ鯉の滝昇りと知りながら、日増しに強くなる気持はどうしようもありません。
明日とも知れぬ命を持ちながら、まだまだと思っている自分にムチ打って少しでも宿善が厚くなるよう求めねばと思っています。
私の如き年老いた者でも教学を受けさせて頂ければこれに過ぎた幸せはございません。
もし願いかなって受験することができますれば、人様が一年かかるところ、私は愚鈍なる故二年も三年もかかると思いますが、最後までやり抜く覚悟でございます。
どうかよろしくお願い致します。