先日は連日の
浄土真宗の法話でおつかれのところ突然おうかがい致しまして本当に申し訳ございませんでした。
聞けば聞くだけ仏の教えはとてつもなく大きく、底の知れない深いものに感じられるだけで、私には全くつかみ様のないものに思えて参ります。
自分を省れば全く仏とは縁のない者にしか思われません。
凡夫の心としては
明日ありと思う心の日暮しぞ
夜半に嵐が吹くものかわ
日も月も蛍の光さながらに
金のまぶしさ目も昏むかな
となります。
しかし又一方ではこんな私が、どうして、今真実の仏法を聞かされたのかと思えば唯不思議でなりません。
お宅へ向かうタクシーの中で自分の心の動きをみつめれば、自分の意志に反して起きて来る何か強い力を感じられました。
今にも仏縁が切れそうだと言った私に対して、
阿弥陀仏のお力はちょっとや、そっとで切れるものではない。
それでなくては大願業力とは言われないよ、と仰言ったお言葉、強く心に残っております。
流転
輪廻のこの道からのがれるには唯
聴聞に極まるのだと仰言ったことも、この時、大変重く感じられました。
現在の苦しみを凝視し、その中に身を沈め、そのまま進めとの御言葉に従い、力一杯自己をみつめ、その心と闘いながら、これから進んで参りたいと思います。
今後とも、どうぞよろしく御指導お願い致します。