善知識は、
後生の一大事を心にかけて、聴聞をしなさい。隣の室で自分のうわさをしているのを知れば、そこに耳が集中するであろう、そのような聞き方をしなさい。
衣食住忘れて聞きなさいと仰言います。
自分をみつめてみれば、身体はいかにもまじめそうに聞いてはいるが、心の中は
煩悩がさかまき目の前が判からない、なんとかして
ブッダの弟子達が、一言一句のがさずに聞いていたように、自分も後から善知識の仰言ったことを書いてみようとするのだが今、仰言ったことすら、そのまま書けず忘れてしまっているのである。
浄土真宗の法話を何とあわれな聞き方をしていたのだろうかと、
後悔せずにはおれない。どうしたら後生の一大事が心にかかり、真剣な、
聴聞が出来るだろうか。