現今の
浄土真宗の衰退に就ては人々によっては色々と論ずるであろうが、
その原因は『
歎異抄』に起因する。
事の起りはある寺。
「学会では唯円坊と言われている」
「聖人の弟子なら
信心一つで救われる事をハッキリと書いているはずだ」
「歎異抄は有難い書物だ」
「どこが有難いかね」
「親鸞聖人の教えは信心一つで救れわるのですよ」
「ただの意味が判るかね」
「ただ念仏さえ称えていればそのままで救われる」
「そのままとは何も努力せずにポーッとしているままかね」
「あなたは信心と念仏の関係、他力とはどうなった事か判らないから、ノンキな事を言うのだ」
自信に満ちあふれている破邪に
他力信仰の偉大さを感じる人は仏縁深い人である。
「信をとらぬによりて悪きぞ、ただ信をとれ」と仰せられ候。
善知識の、わろしと仰せられ候は、「信のなき事をわろき」と仰せらるるなり。