悩みや苦しみの無い人に、どうして仏の大悲がわかるでしょうか。
怒ってすむことなら、怒らなくてもすむことです、
どうせすむことなら怒らないでいた方が賢明です。
仏法は、熱心でさえあれば、
朝に道を聞いて、夕ベにさとれる法です。
やるでなくやらんでないような人は、
たとえ百年が千年もとむるとも
救われることがあるでしょうか?
幼児誘拐事件がしきりにおこります。
金欲しさとはいいながらおそろしいことです。
子を持つ親は戦慄させられます。
今度の子の親の心を思えば賜がちぎれるようだ。
それにしても、どんな病気も
どんな不幸もすぐなおせるという
新興宗教の御偉力(?)を
こんなときに発揮できないものでしょうか。
国民総あげて探してあげようといっているのに
運命判断者や
占い師は日本人でないのであろうか。
いや、ここにハッキリ、一犯人の惨虐行為をも見破れない
祈祷宗教や暴力
宗教のバケの皮が見出されているではないでしょうか。
外道邪教のねらいと正法の真実とは根本的に異なるのです。
皮相にとらわれず真実の教えを聞かねばなりません。