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浄土真宗親鸞会の内部情報と法話の評判

親鸞会がどんな団体か一人でも多くの人に知って頂くため、親鸞会の内部情報を公開していきます。客観的で公正な判断の材料にしてください。

仏教は体験である

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仏教は体験である

 仏教とは体験であり実証である。
やがて救済ることを信じて喜ぶのでは無い、
今現実にたすかったことを知って喜ぶのだ。

他の宗教のようにたすかることをあてにして信仰を喜ぶのとはわけが違う。
仏教は信ずるのでは無く知る世界なのだ。
想像するではなく体験する世界である。
手に焼火鉢を握るよりも確な体験である、
この体験の刹那から一切の不安や苦悩が完全に解決されるのだ。
未来の不安のかけらも存しないこんなすばらしい救済は阿弥陀如来をおいて他に存しない。
くだらぬ現世利益なんかで喜んでいる連中なぞにわからん世界である。

親鸞会同志に告ぐ

 仏教の救いは軽くは無い。
『心得えた』と思っている人も今一度心してもらいたい、
弥陀にすくわれることとは三千世界の宝をまるもらいする程の体験である。
永遠の生命と、無限の法悦が泉のよう湧き出て来る世界なのである。
極楽には往き易きとは、仏の救いを確にたしかに体験した者だけが往き易いと言われたのだ。
念仏さえ称えておれば極楽に生れると言うのなら
ブッダ大無量寿経(無量寿経)に何で
極楽には往き易くして人が無い』と申されたのか。

またわが親鸞聖人が正信偈の中に真実の信を得ることは
難の中の難これに過ぎたるの難なしと云われる道理が無い。
こんなことを云うと『そんな難い教えならもっと簡単な宗教を信仰した方がよい』
と言う者もあろうがとんでも無いことである、
いかに教が簡単であっても真実の救いが無ければくそにもならんのだ。

 今日この偉大な善知識に遇いながら求める気の起きん者はどうにも仕方がないのだ。
しかし縁があってもふらふら同行ではどうにもたすからんのだ。
仏教は一人一人の大事である、いくら聞いても大事のかからんヤツはなお仕末が悪い。
一体自分の業病を何んと心得ているのか、
今の根性が一息絶えて輪廻転生して行くと思えばいても立ってもおれんでは無いか。
3年や10年聞いたぐらいでぶつぶつもんくを言うヤツはくそくらいである。
どだい仏法を軽く見ているのだ。
マッチ一本で灰になってしまう倉を建るためにさえ
人間どれくらいの苦労と年月をかけることか、
娘が洋裁を仕上るためにさえ雨風雪をくぐって3年5年と努力するでは無いか、
所謂50年の夢幻にすきないのだ。

しかるに未来永遠の魂の大安心を建立する程の大事業を
何と心得えておるのか。
火の中わけて聞け!!命捨て聞け!!命を捨て!!
この一言もっとも肝要なのだ、どう捨てたらよいのか?
どう捨てたらよいか解るまで聞くことだ!!
それができないようなものはたすからん!!
放ってゆくより仕方が無い、この大信心を体得するまでは
たといこの身の死するとも決して退くことは許されない。

今、親鸞会の若き菩薩は立ち上った、
如来の前に血判を押して立ち上ったのである。
ついてこない者はついて来ないがよい、
我れ一人前進するのだ求道者の生命は唯一人立ち上る時にあるのだ!!
命をかけてもかけてもかけ足らないのが仏の世界だ、
無限の世界だ!!
あきることも尽きることもない世界だ、
千の若者が東になって命を情熱をもやし尽しても
仏の世界は限り無く深いのだ!!
すばらしい生きがいである!!
我々にはバーやマージャンの遊びはいらない、
オートバイや登山の刺激も不用である。
我々の情熱はこの大信界に向って限り無く精進するのだ、
いかなる情熱を投じても仏の前には投じ切れないのだ。
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