浄土真宗の法話を
聴聞する時、いかに「一人一人の聞き方」が違うかということに気付く。
お話しして下さる善知識の御心がそのまま私達の心には素直に受け取れません。
それは丁度モチを汚れた手で食べるが如く仏の御心を凡夫の計らいで聴聞しているからです。
親鸞聖人が信行両座の諍論をされた時、
法然上人のお弟子三百八十余人のうち
信の座に着かれたのは
法然上人、
親鸞聖人を入れて僅か五人であった。
その後、法然上人が亡くなられて親鸞聖人は
浄土真宗を開かれ、
その他は
浄土宗を開いたのも、
法然上人の「
念仏為本」を誤解したが故である。
一つ聞き誤っても
極楽と
地獄の分れ道になる。
だから私達は善知識のお言葉に耳をそば立てて真剣に聴聞せねばならない。