今日も無駄な一日をすごしてしまった。
浄土真宗の法話での善知識の生命がけの御説法にもかかわらず、
ボーと聞き流してしまった自分、いったいどうすれば性恨が入るのか、
どう聞けばよいのか、いつまでものんきな自分、にえ切らない自分、
その晩、善知識は
「歌っても歌っても上手に歌えないのは、木当に覚えようという気がないからだ。
痛い目にあわねば真剣にやれないのがあんたらの姿だ」
と歌の練習をしている時に仰言った。
劇のセリフ一つ覚えるにしても、バットで打たれないと覚えない自分、
六道輪廻を無始よりくり返しながらもまだ目を覚まそうとしない。
四馬の讐喩の四馬にも入らぬような私達は、
ちょっとの痛み位ではいっこうに聞こうとしない。
臨終に泣くか、今泣くか、一度は必ずやってくる最高の苦しみをどうするのか!」
と叱咤して下さる善知識、愚鈍な自分であれはあるほど大きな苦しみ、
強い鞭を求め、のり越えていかねばならない。
苦を求めずして最高の楽は味えない。
生命がけに求めずして絶対の幸福を獲るということがあろうか、
とにもかくにも目をつぶってでも前進せねばならない。