『牛ぬすびとといわるるとも後世者といわれることなかれ』
普通の人間世界から申せば全く
善悪転倒した言葉であります。
自称仏法者と自他共に認めている側からいえば
仏教を、
冒涜したことになるでありましょう。
だが……真に自心をみつめている二種深心の徹した人ならば
一服の清涼剤の実際感がありましょう。
「真実の仏法は知っている」
というものではなくて実際求法である。
則ち発心(ほっしん)を本となすものであって発心なき
聴聞は感情
仏教となっています。
宗祖聖人は60余才にして
『ようようにはからいて、親にはからわれていることのありがたさよ』
と御述懐になっていられるではありませんか。
この私も斯く心境にありたいと今年も実際
浄土真宗の法話の聞法に
精進させて戴きましょう。