浄土真宗では昔から布教使に随行者が随行する習慣がある。
随行している時とただ
聴聞している時とは全く違った感じがする。
感じた点について23あげてみよう
まず先生のお話の前に随行文を人の前でいうこと、人の前でいうには度胸がいる。
また同じ話を同じ所でいうと人はまたかという顔をする。
同じ話を熱を込めていうところに意義があるのだと仰言る。
他県へ行くと
浄土真宗の御法座のある家に寝泊りしなければならない。
人の家にいるというだけで多分に緊張するのだ。
こうして礼儀を学んでゆくのではないかと思う。
こうしてあちらこちら回っていると先生の御苦労、また
親鸞学徒の気迫が体で知らされる。
それにつけても甘い気持で求道している自分が思い知らされて心を引き締める次第である。
先生の御法座の終わった後でお話の通り思い出して書いてみると
いかに自分がだら聞きしているか思い知らされる。
先生は一生懸命聞けば後でみんな思い出してかけるものだと仰言る。
臨終に
後悔のないようにしなければならない。