正法は生き、邪法が退くのは理の当然です。
対決記録の地方版がいとも美しく鮮やかに出てきました。
破邪の利剣は正法開顕のために親鸞学徒全員が抜かねばなりません。
十二月五日岐阜市のお寺での
親鸞会の講師の先生の
浄土真宗の御法座の御縁を終えての帰り列車が垂井駅辺まで来た時
突然、大きい火の粉がふりかかってきました。
つまり誰か知らない人から
驚きました。余りうれしそうな喜びの我々を見てトンデモない感ちがいをされた。
そこでいきなり
親鸞会「とんでもない。私達は
浄土真宗ですよ」
と特に力を入れて答えてやる。そして
日蓮宗「そうです。余りあなた達が幸福そうで元気一ばいなので
日蓮宗かと思いました」
馬鹿も休み休み言って欲しいものだ。
浄土真宗、
親鸞会のよろこびはそこらのぬか喜びと段が違うのだ。
これは早速破邪と出なけりゃなるまい。やをら開口一番
ここが大事なところ、早くも生死の大問題、
生きた聖人様の教え、
親鸞会の先生の命をかけての教えの肝要にさしかかってきました。
車中の乗客の人目も一斉にこちらにむいてきました。
コソコソと人目しのんで対決に来たいつかと異なり、
それこそ願ってもない大衆の面前で弥陀の裁断下るか!!
そらでた、正邪の分れ目が、ぬけぬけと素知らぬ顔でようそんなことがいっておられます。
すかさず
親鸞会「死んだら、あなた達は死んだら、で満足できますか。
百万円当ったらで満足できますか。
浄土真宗の教えは、そんな、死んだら、ではありませんよ。
ただ今この世で絶対的無上の幸福に救われるのですよ」
弥陀の利剣の切れ味を見よ、と濤々とまくし立てた。
親鸞会「無理な答弁をしようとなさるな。誠の御声は正しく強い、
あなた達はまちがった教えをきいているから、
ここは月とスッポン程違いますよ、話にならんでしょう」
「
真実を知る者は幸福なり」ああこの教え、
この
親鸞会がなければ私ら如き凡夫にこの日があろうか。
息つまった彼らを見て車中の人は、ため息をつきざわめきを示しました。
日蓮宗の連中立ち上がりにもう決定的打撃を一つ喰らい、
お互に目くばせしながら後方の自分達の連れの方へ合図をしました。
どうやら応援を頼むらしい。
何でも出て来い。
としばし私たちは一息つきました。