山口県荻の松下村塾の跡を参観した。
土規七則が掛けられた十坪(約四十平方米)にも足らぬ板の間で
松陰に教えられた数人の若人は、その後日浅くして
明治維新という日本の夜明けの大原動力となった。
その昔
蓮如上人の居給うた
本願寺とは茅屋の小屋にも等しい、
小さくお粗末なものであったと聞かされる。
その
本願寺はやがて、あの信長も、秀吉も
手も出しかねる大勢力となり
家康の奸智をもって二分しても尚壮大をおそれるものとなった。
数の多きことより、真実を求め真実に生きんとする火の玉の如き一人の青年が尊いのだ。
松下村塾の数名の青年は、薩、長土を動かし日本を動かした。
それより、蓮如上人お一人の力は全日本を動かした。
今
親鸞会に続々火の玉の如き青年男女が集りつつある。
八月中には又滋賀県から新しく二人の求道青年男女が来館した、
ともに故郷に別れ親に別れて
「大千世界に
満てらん火をも過ぎゆきて
仏の御名は聞くべきに
雨風雪はものの数かは」
この歌の実践者よ
食飢れ、身は細り、命絶ゆるとも初心を貫徹せよ。
弥陀の御縁にもよおされて、
不思議の花開く日は程近い。
一切衆生の上に、生きとし生きる衆生の上に法水の雨降らす、
大使命は、堅実な、一歩一歩克苦して進む
親鸞会青年の求道、
破邪顕正から始まる。