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浄土真宗親鸞会の内部情報と法話の評判

親鸞会がどんな団体か一人でも多くの人に知って頂くため、親鸞会の内部情報を公開していきます。客観的で公正な判断の材料にしてください。

葬式坊主は仏教ではない

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葬式坊主は仏教ではない

葬式屋坊主を破せ!!
 浄土真宗僧侶に告ぐ!
もし僧侶が真の仏教徒なら断じて葬式屋坊主となるな!
仏教は亡者には用事がないのだ!
もし亡者を弔うことが仏教徒の任務であるなら、
なぜ釈迦や親鸞が其の長い生涯にわたってただの一回も死者を弔わなかったのか?
一体仏典のどこに死者を弔うことが仏教の本命と書まれてあるのか!
もし死んだ亡霊に用事があるくらいならなんで我が聖人が
『親鸞閉眼せば川に入れて魚に与うベし』と遺言なされたのか?

 何辺も言うが仏教は死んだ亡霊には用事が無いのだ!
否!どうにもならんのだ!
仏教では死後の救済はあくまで今生で解決すべきものであり、
未来の解決はあくまで今生での救済の結果であり延長であると教えているのだ!
今日仏教と言えば何があるのか、葬式法事番と、
そしてわけのわからん経読ではないか、何と言う堕落であろうか。
 一体本願寺は何をしているのか!
如来よりあずかり受たを数千万門徒の魂の手次ほどうなるのか!
経典には雨の降るのが如く落ちてゆくと説かれてあるが
己が僧侶としての責任をなんとも感じないのか?
死んだ亡者が泣いて悔んでいるのが聞えないのか!
『坊主めヤツ取るだけ取って地獄に落した!!』と。

 私は声を大にして叫ぶ!
『本日限り亡者の弔いを止め!としかし僧侶は言う(ニタリと笑って)
『それでは門徒の者が承知しますまい』と。
おお何たる卑怯な言い逃れぞ!
それでは聞くが『一体誰がこの門徒衆をして、
亡者の弔いが仏教の信仰の如く思いこませてしまったのか!
『おのれ仏教徒として責任を取れ!腹切わびてもすまないぞ!』
と叫びたい!!

しかるに僧侶はこれをよいζとにおのれが生活の飯種としているではないか!
現に門徒の一人が親鸞会に参ろうとしたら、
僧侶の言く『死んでも葬式はしてやらんぞ!』と言って驚かしたそうだが
クソクライである。

僧侶も間違いるが門徒も盲だ!
私にはこの葬式にたいして将来一の考えがある。
それは各市役所に(人口量に応じて)葬式を専門にする人をおき
一切の葬式を行ってもらうことにする、
その際、葬式の費用や謝礼なぞはきちんと定めて、
凡てを事務的に行うことが良い。

高岡市ぐらいの人口なら六人もいれば充分である。
一枚何十万円もする赤衣を各に作る必要が無い。
その他の僧侶はすべからく仏教の伝道に身を奉げることである
(その能力の無い僧はいさぎよくを出ることである。
こんなきびしいことを言う私の気持は唯一つ、
仏教の目的すなわち我々仏教徒の使命は一体何であるのか?
と言う厳粛な問題を明らかにしたいがためである
この間違った浄土信仰に対して解ってほしい一ぱいからである。

だいたい家がだから息子も僧侶になると言う今日の寺院制度がいかんのだ、
だからお経さえも満足に読めない僧侶が出来るのだ、
まさに浄土真宗の頽廃はここに原因したのだ。
こう言う制度は絶対止めねばならない。

寺院は門徒を教化救済する能力のある人のみがつとめるべきで、
葬式半分、月給取半分の坊主のつとまるものでは絶対ないのである。

 あるの息子が地方大学を二年も落第し
『仕方が無いから仏教の大学へでも行こうか』と言って、
しぶしぶ入っていたそうであるが言語道断!!
仏法を軽んずるにもほどがある。
仏法ほどの大事を『家はだからとか、仕方が無いから』
とか言うような、そんなよいかげんな人間が、
よいかげんな根性ではたせると思うているのか!!
クソクライである。仏教の使命は、
この世のいかなることをもってしても解決できない
人間の魂の根本的な苦悩を救済すると同時に、
この人間社会をして真の精神文明を建立せんとする大使命に立っているのだ!!
私は信念をもって叫ぶ、
今日真の仏教伝道者ほど世に大なる事家業は無いのであると
古来人類の歴史の血を改めて来たのは多く宗教家であったことは
歴史を知る者の常識である。

この大使命に立つ青年こそ、世の誰よりも優れた人間であり、
しかも誰よりも努力する人間において始めてはたせる難事業である。
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