どんな迫害を受けどんな悪罵雑言を聞かねばならないか、
ということは重々合点承知の親鸞聖人が、
決死、破天荒の大事を断行なされたのも、
今までの間違った仏教のあり方を破って正しい
仏教の姿を顕かにする為の破邪顕正の身業説法でした。
ただ単に五欲を満たすだけの目的ならば聖人の以前にも、
秘かに肉食妻帯していた
僧侶はたくさんあったのですから
公然とせられる必要はなかったはずです。
そうすれば公然となしたが故に受くべき
しかし親鸞聖人のねらいはもっともっと高かった。
たとえ狂人じゃ、怨敵じゃ、破戒僧じゃ、堕落坊主だと
ののしられ遂には流罪死罪に遇うとも、
今までの仏教では誰一人救われないではないか、
しかも大衆は現に苦悩に沈淪しているではないか。
出世の本懐であり、念仏の教えこそ仏教中の仏教なることを
身証なされた親鸞聖人は決然と身命を賭して破邪の争い、
顕正の為、猛進されたのではありませんか。
それらの結果は
35才の越後流刑の法難となって現われましたが
聖人の信光はいよいよ光輝を増しました。
仏の遺言を守って破邪顕正した為に受ける一切の迫害は
親鸞聖人にとっては正に本懐これにすぐるものはなかったのです。
たとい身は八裂きに遇うとも
真実を開顕して死ぬのなら本望ではないか。
真実を顕彰するには一切の妥協は許されません。
中でも、いたわしい事件は
84才の晩年に於ける長男
善鸞の勘当です。
いかに如来の至上命令とはいいながら
子を憶う親心に古今はないはず
血肉を分けた我子を切りすててまでの
秋霜烈日ともいうべき聖人の破邪顕正には
我々はただただ粛然と襟を正さなければなりません。
内に
浄土真宗の哀退を見、邪教のバッコを外に見る
私たち親鸞会員は一致団結、
今こそ親鸞聖人のみあとを慕って
法話に立ち、
破邪顕正の戦場に屍を埋めようではありませんか。
これこそ聖人の洪恩に報い奉る唯一の道であり、
私たち、親鸞会員の誇りある大使命であります。
大奮起いたしましょう。