死の話を嫌った私
私の村へは昭和32年から毎年、
親鸞会の講師がお話に来て下されていました。
私はその間だけお
寺に参っておりました。
浄土真宗の法話は幼い私にも理解できるところがありましたし
譬え話のおもしろさに引かれて参っていたのかもしれません。
そうしているうちに中学生となってしまった私は、
まったく
浄土真宗のお話を聞くのがイヤになってしまいました。
何故かといえば
親鸞聖人は
「私達が幸福になるには死の解決をしなくては絶対ダメだ」
と仰言るからです。
私は若いんだもの、これからどうしたら楽しく生活できるのかという方法を教えて欲しかったのに一番イヤな、考えるのもゾーッとする死の事を仰言るからです。
そこで私は高校は仕方がないから県内でも良いけど大学は大阪か東京へ行こう。
そしてこんなイヤな話は聞かないようにしようと思いました。
しかしどこまで逃げても必ずやって来る死に対して一体私はどうすればよいのだろうか?
この答えは出てきませんでした。
そして母がお参りに行くといえば
「どうしてこんなに忙がしいのに参るのや」
と反発していた私でした。
おばさんの忠告がありました。
このようにして高校生となった私は、
都会の人は別に仏法を聞かないけれども楽しくやっている。
何かあるに違いないと夏休みを利用して一ヶ月名古屋ヘアルバイトに行ったのです。
しかし結論は都会の人もいなかの人も少しも心は変らないということであった。
そのうちに私のおばさんがやってきて
「人間は教育によって価値が決まる訳ではない。
いくら教育を受けてもそれによって頭が高くなるようではいけない。
鏡に向かったら姿を写す前にまず心を写しなさい」
とすすめてくれました。
私は高校生となってからというもの何か中学出ただけの人に対して
頭が高くなっているように思われてならなかったのです。
だから大学へ行くのは止めて洋裁師にでもなろうかと進路が変ってきておりました。
私のえらんだすばらしい道
そして8月、親鸞会の先生が私の家へ来られた時、
「洋裁師なんか誰でもなれるじゃないか。
若い時苦労は買ってでもするものだ。
誰にでも出来ないすばらしい道に進みなさい」
と仰言って下さいました。
「そうだ人生どこに満足があろうか、
仏法を求め絶対の幸福者になってこそ私の人生の本懐だ」
と先生の御後に順い、仏法を求める事を固く心に誓い、
親鸞会青年部に入れて頂こうと決心致しました。
早速家の人にたのんだのですが祖父は頭から反対致しました。
私は「おじいちゃん、おばあちゃん死んでゆく時は一人ですよ。
どんなにかわいい孫であっても、どれだけの財産であっても、
みなおいてゆかねばならんのですよ」
と言ったら判ってくれたようでした。
父母は「お前がその気ならやらせていただきなさい」
と許してくれました。
中学生の時は父母に反対した私ですが、
今となっては本当にすまなかったなあーと思います。
絶対の幸福をめざし、私は
親鸞聖人の仰言る事はどんな事でもできるようになりたいと思います。
この体がそうなるだけでなく、心がなるまで頑張りたいと思います。
善知識は針のようなもの、針が絶対の幸福まで行っていたら
必ず糸はそこまで行けると仰言るその言葉を信じて、
自分の心がどんなものであるかみつめながら一歩一歩前進させて頂きたいと思います。