その当時、あらゆる
欲望を断ち切って
聴聞に邁進致しましたが宿善が薄いというのか、
私には何の手ごたえも得ることが出来ず
ただ本心は今死ぬと思ってもどこ吹く風よの如く、
大磐石の様に動こうともせず、悪を悪とも思わず、
真実を真実とも思わない心に聞けば聞くだけ自分自身困り果てる始末でした。
そんなある日、ふと知り合いの人より幼い子供三人を残して
妻に先立たれて苦悶している人があるという事を聞いた時、
この世で苦労の足りない私には身をもって仏教を聞く事ができないのだと
世間でも難しいといわれる義理の母となって
三人の子供達を育てさせて頂く決心を致しました。
始めてあった子供達は、何かよそよそしい気持ちで私を眺めるのでした。
日がたつと共にだんだん馴れてはきましたが、
なぜか子供達の心の中は母と呼べない苦しさがありありとうかがえるのでした。
私は私で我が子として抱擁してやれない心の煩悶に苦しみました。
経済的にも苦しい我が家。
そんな事とも知らない子供達は、欲しい物が与えられないといってはすねて泣く子、
ある子は少しも面白くないと
愚痴をこぼし、
またある子は
孤独で
寂しいと歎く子、
この様な子供達の姿を見ている自分も、
欲望の満し切れない心の中は貪欲の渦と
怒りの炎を
どうすることもできない事実に苦しみ悶えるのでした。
その様な日暮しの中に私に男の子が生れ、
その間柄は益々難しくなり、片方良くすれば片方悪くなり、
両立出来ない母としての立場に愛憎違順する心は
激しくつのりまさに此の世の悪評たる母の姿しかありませんでした。
ただこの様な一人一人を絶対の幸福にする事は
阿弥陀如来の本願を説かれた仏教を信ずる以外には絶対にない事を知り、
家中みんなが仏縁に恵まれる事を念じつづけるのみでした。
それが母親としての重大な使命であると確信したからであります。
月日の経つと共に大きく成長した子供達は、滋賀会館落慶式を勝縁として、
また
親鸞会青年部の方達の絶大なる御尽力により青年部の一員として入会させて頂く事ができ、
真実を求める第一歩を踏み出したのであります。
これひとえに
親鸞会の講師の先生の血のにじむ御化導の賜と
阿弥陀如来の若不生者のたゆまざる念力のかかり果てて下される事を
忘れてはならないと思っております。
子供を捨て、若い母親の蒸発が相次ぐ今日、
生きる意味を失い、子供の事よりも我が身が楽とくずれゆく母親たちの真相を思う時、
なんと自分を粗末にしているのかと思うのは私一人でありましょうか。
そしてその母親に生み育てられた子供達は何んと不幸せなことでしょうか。
生まれ難き人間界に生を受けた私達は、今ここで、
まず母親たるものがしっかり仏法を身につけ、
それを我が子に教え伝える事こそが、
親としての重大責任ではないでしょうか。
早く我が子に
因果応報の道理を教え、
絶対の幸福を獲る事のできる真実の仏教へ押し出してやりましょう。
そして無明長夜の灯炬を灯して下さる真の知識のもとへ一日も早く、
片時も早く急がせなくてはならないのです。
この世の命のある間に。
私も子供達に負けてはならない何が何でも三千世界の果報者は私一人であったと、
とび上がる日まで光に向かう覚悟です。