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浄土真宗親鸞会の内部情報と法話の評判

親鸞会がどんな団体か一人でも多くの人に知って頂くため、親鸞会の内部情報を公開していきます。客観的で公正な判断の材料にしてください。

一度は死を覚悟して真実の親鸞聖人の教えに甦った私

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一度は死を覚悟して真実の親鸞聖人の教えに甦った私

寂しい孤独感からの解放
    今こそ生きる意味を知る
 私は小さい頃からうわべは楽しくしていましたが、
心の内には何かしら暗いものを感じていました。
中学までは毎日のように母の仏教の話を聞いていましたが高校へ入ると、
その母を無視し
「そんな事を考えていては何もできない。
この世さえ極楽であればよいじゃないか。
死後の世界なんかあるものか」
と反発心を起すようになりました。
それからという自分は大学の門をめざして入試の対策をねるというムードが自分自身いっぱい充満していました。
しかし受験勉強が予定の計画通り進まなくなると、
始めの意気ごみもどこへやらなつかしい友達のことが気になり〈友情〉を犠牲にして大学をめざすことの代価が<孤独>ということなのかとイライラしてくるのでありました。
机に向って勉強しようと思っても気が散ってどうしようもないし、
そうかといって計画全体をぬりなおすファイトもなく、ずるずると毎日が過ぎて行く。

相談する友達とて今はなく、孤独感は一日一日と深くなってゆきました。
勉強するでもなく、そうかといって運動する訳でもなくボンヤリと虚しい空想にふけったり孤独ということのつらさをじっとかみしめ、こらえます。
勉強しても活字の上を目が走っているだけで、
何が書いてあったのかを後で思い出そうとしてもサッパリだめでした。
それどころか何の為に人間は勉強しなくてはならないのか、
学問の目的はどこにあるのか……そう思うと自分はダメなのだと
自己嫌悪の念に責めたてられ孤独の壁はますます厚く自分の周囲をとりまいてゆきました。
人間性をひからびせる受験勉強
 ひとりで家への帰りを急ぐとも途中の満員電車もラッシュの人波も自分のいることなどには何の関係もなく、ただ大きな波となって流れ動いてゆく……。
雑踏の中ですぐ隣を歩いている人に声をかけ談笑するというわけにもゆかない。
人間という動物が、ただ物理的に自分の回りにいるにすぎない。
何を目的として生活しているのだろうか。
せかせかと自分の前を通りすぎ、後を行きかう人達、そういう人達に自分の心の中をうちあけて、聞いてもらうことも出来ない。
沢山の人が雑踏の中にいても日本の人口が増えても、結局自分の心の中には孤独感が一杯つまったまゝで、それが解消されるということなど思いもよらない。
卒直にいって僕、本当に寂しいのです。
誰も彼も同じ大学の狭き門をめざして毎日頑張っているライバル同志で、皆おたがいに牽制し合い敵愾心を燃やしているのです。
こんな事で良いのだろうかと思ってみたところで、それはどうしょうもないことだし、受験勉強というのは、すごく人間性をひからびせ、僕達に孤独を無理やりに強制するものだと痛感します。

 奴だけはと思って親しくしていた級友まで何となくよそよそしくなってしまい、〈ブルータス、お前もか>の悲哀を味うことになる。
そんな奴は病気にでもなって入院すればいいのだと思うし、時には奴が死んでしまえば敵が一人減る事になるのだナァ……と思ってみたりもするのです。学力向上、入試突破のカケ声でテストにつぐテスト。月例テストの成績順位を廊下にはりだす事によってますます競争心をあおりたて、ひたすら知識をつめこむ事だけの学校教育であります。
チラチラと死の影が
 神経をイラだたせクタクタになって家へ帰ってホッとしてゴロリと横になる。
しかし母親は、いつものように忙しそうにゴキブリママさんぶりを発揮してあくせくとし何を話しかけても
「そんな事ならお父さんに話してごらん」
と無責任な返事をするだけで、一緒になって考えてくれようともしない。

 オヤジはオヤジで、むっつりしてときどきギョロリとメガネ越にこちらをにらんで
「オマエにはできるだけのことはしてあるはずだから、これ以上のことはできん」
といわんばかり、話したくても話し合いのムードなどはまったくない。
クラスの友達からも、先生からも、さらには親からも自分は認められないまったく無視されているのだと思うと、ますます孤独のカラにとじこもり、淋しくて淋しくてしようがなくなります。
「オレは淋しんだアー」
「オレはこの世にいてもいなくても同じことなのだ」
「オレはこの世には必要のない人間なのだ」
そう思うと死の影がチラチラと脳裏をかすめ死ねばこの孤独感からもきっと解放されるだろうし、後に残ったクラスメートも先生も、親までも,オレの事を少しは惜しがってくれるに違いない。そうでもしなければ今のまゝでは自分の存在はまったく押しつぶされてしまう。
〈死こそこの孤独からの唯一の脱出方法にちがいないと次第に思うようになってきました。
それからという毎日は実に無責任極まる堕落した生活が続いたのであります。

 死か生かと縺れに縺れた二つの糸を解いてくれたのは
親鸞聖人の教えでありました。
 「あなたは何を目的にして生活しているのですか」
と問われた時ただその質問にどう答えていいのかさっばり分らない自分に驚いたのです。
そして真実の教、仏教を求め《絶対の幸福》になることこそが生きる意味とハッキリ知らされたので。
この世の中に生きる意味知らずの日々を送っている人がおおかたです。
私達は浄土真宗の法話生きる意味を知ったからには、より多くの人達に真実の教を知らせ、
晴れて大満足、大安心の境地まで一日も早く、共に進ませて頂こうではありませんか。


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