親鸞聖人は
神を排斥せられたのに
蓮如上人は
「六字の内に諸神はこもれり、おろそかにすべからず」
と仰言っていますがこの諸神とはいかなるものをいわれたものですか。
実社と権社の神
古来、日本では
神が2種に分けられていました。
1つは実社の神といい、もう1つは権社の神といいました。
実社の神といいますのは、実類を祀った神社の神ということで、
死んだ人間や
畜生などをまつって、それらの
霊魂が神社にいると思っているもののことです。
仏教ではかかるものを邪神と呼んで一切その存在を認めないのです。
日本の神は凡てこの実社の神の部類に属するものです。
このことは存覚上人の『諸神本懐集』にも明らかです。
次に権社の神というのは、仏教が日本に伝来してから、
天台宗や
真言宗の僧徒達が自分らの保身の為に、
仏教の本地垂迹説をねじ曲げて、
伊勢神宮や春日神明や山王権現や多賀大名神などの有名な日本の神は、
もとは仏であって権りに今、神となってあらわれているものであるとして、
デッチあげた神をいいます。
神仏一体は根拠なし 天台、真言宗のデッチ上げ
仏教の本地垂迹説については、
今は説明する紙面がありませんから後日にゆずりますが、
日本でいう神などは絶対に入らないのです。
天台、真言の僧徒達が、すでに『大集経』などによって、
末法の世になれば如実に仏道修行も出来なくなり、
成仏の道は絶たれている上に日本の民衆は、
どうしても神の
信心に走るものが多いので、
これらの民衆に引ぎずられて日本の神を仏教の本地垂迹説でいう神に結びつけ、
遂に神仏一体という新語まで造ったのです。
しかも権社の神の本地は仏なのだから、
その神の前で中臣ノ祓をよめば現世利益は勿論、
後生は三悪道をのがれて、成仏もできるとまでいうようになったのです。
しかもこの神仏一体説は
弘法、伝教、慈覚、智証らによって主張せられ、
大衆がこれを支持したのでたちまち満天下を風靡するようになりました。
しかも誰一人としてこの破仏法の浅間しい信仰を打破し、
真実の
仏教を顕正するものがなかったので増々神仏を混淆して、
僧侶も神主と共に神社に奉仕するまでになってしまいました。
かくて、あれ程きびしく神を捨てよと厳誡された仏教の教義は、
日本に来って全く骨抜きにされ完全に
外道化されました。
まさに仏教堕落の極に達したわけです。
いずれの世の、何処の里においても時の権力や我欲の為に
常に真実の仏法はねじ曲げられ、
ゆがめられて来たのです。