先生のお部屋で帰りの準備をさせて頂いていた私に、先生は窓を開けられて
「あそこを見なさい」と仰言られた。
見るとそこには、農家の主婦らしき人が、二、三人、懸命に畑仕事をしていた。
「こんなに近くに法座があっても聞けないのだね」
と先生は仰言られて、又
「私達も過去には幾度も幾度もああいう生活を送って来たからこそ、
今、
仏教にあわせて頂けたのだね」
と続けて仰言られた。
この世には沢山の人がいる。
しかし仏法を聞く人は、まれなのである。
ほとんどの人は仏とも法とも知らず、ただこの世だけの快楽を求めて、死にゆきつき、
虚しい一生を送っている。
この仏法は全人類が聞かねばならないのであるが、今の仏縁がなければ、何としても聞き難い。
こう考えると仏法にあわせて頂いた事が、ますます
不思議になってくる。
今生こそ、迷いの人生でなく、光明の広海に浮び、無碍の一道に踊り出た人生を送らねばならないと思うばかりです。