高校時代はバレーボールクラブに入り、スポーツで汗を流すことのみに明暮れた私は、卒業する頃になって一体これから何をすればよいのかという問題に直面しました。
このまま平凡な結婚をし、母の様に子供の成長のみを楽しみに暮らすのかと思うとたまらなく寂しい気持になり、この世に何か、残したい、誰かの役に立ちたいと思うようになりました。
そして考えついたのが看護師という職業でした。
この看護婦という職業を白衣の天使というふうに頭の中では多分に美化していたのかもしれません。
しかし志したからには何がなんでも最後までやり抜こうという覚悟はしていたつもりです。
それなのに父は最後まで反対しつづけたのです。
その理由は唯一つ、寄宿舎に入れば
浄土真宗の法話が聞けなくなるということだけなのでした。
それでも試験さえパスすればと思い、父には内緒で試験をうけたのです。
しかし、がんこな父の反対にどうしても勝てず私の方がおれてしまったのです。
この時、どんなに父をうらみ、仏法をもうらんだことでしょう。
まるで自分の人生をめちゃめやにされた様に思い、これからの人生が無意義にさえ思われたのでした。
夢や希望が破れた私は、それからある会社の事務員として働く様になり、家で浄土真宗の御法座があると何か理由をつくって家をぬけ出したのです。
父の話には耳もかさず、どんなに勧められても仏法を聞こうという気にはなれず、
なお反発する心が強くなりました。
そんなある日、本当に
不思議なことがおこったのです。
あんなに父がいうのだから一度行ってみようかという気がふと出てきたのです。
その日は5月23日、忘れることが出来ません。
その日は丁度、親鸞学徒が中心の座談会でした。
「
後生の一大事」というところをやっておられ、
親鸞会の先生が人生を四季にたとえると何にあたるかとたずねられたのです。
ほとんどの人が皆、秋、それも晩秋であると答えられたのに私はどうしても春としか思えなかったのです。
しかしそこで感じたものは今まで経験したことのない何か真剣にせまってくるものでした。
この真剣さに打たれ、それからの会合にと足を運ぶ様になり、本当の
生きる意味を知らされたのでした。
生きる意味を知ることこそ私達、すべての人間にかされた義務ではないでしょうか。
無意義にさえ思われた私の人生がこの時から、はっきりとした方向に向ってかじを取りはじめたのでした。
仏法を聞かずして、
生きる意味を知らずしてはこの人生は無意義だといっても決して過言ではないと思います。
仏敵、法敵であった私がこうして仏法を聞かせて頂ける様になったのは本当に
不思議だと思います。
父をうらみ、
仏教まで憎んできた私の罪を思う時、どれだけわびてもつぐないきれない私です。
この上は私の知らされた事を一言でも多く、未だこの仏法を、
生きる意味を知らずして苦しんでいる人達に伝えなければならないと思います。
きりのある命を持ちながら、きりのない
欲望においまわされて、
儚い一生を送るよりも、たった一度の人生を最も有意義に真実裏切られることのない絶対の幸福を求めて、人生の勝利者となれるその日まで、頑張りたいと思います。
年の暮
もちやつく家は、もちやつかず
もちやつく家は、もちやつかぬなり