苦悩渦巻く現在只今が、絶対の幸福に救われる現生不退、
平生業成の世界に、
比類なき
親鸞聖人の教えを伝えるという
浄土真宗は、
今や名前ばかりで実を失い
「親鸞閉眼すれば加茂川の魚に与うべし」
と喝破なされた
親鸞聖人の御遺言も忘れ、
本願寺は25億円の門信徒の浄財を投じて、
マンモス納骨堂を造り聖人の御心をふみにじることに全力をあげております。
末寺の寺は寺で、死人にむらがるハゲタカのように門徒の人の死ぬのを待つ
葬式屋になり下り、
法事法讃の
お経の切り売りでようやくその命脈を保っているという、あわれな現状でございます。
たまに殊勝そうに
浄土真宗の法話をする者があるかと思えば
「死んだらお助け、死んだら極楽」
と仏法をネジ曲げて大衆をこの世から無気力な
諦め地獄へと突き落としている有様でございます。
この様に内は腐敗堕落の極に達し、外には創価学会を親玉に万を教える邪教が牙をならしてせまっている秋これらの正法の怨敵を打ち破り、この偉大な
阿弥陀如来の本願、真実を開顕して下される人は日本広しといえどもどこにあるのでありましょうか!!
今や親鸞会がなければ、
浄土真宗もなく、真実の仏法もまたあり得ないのでございます。
つらつら古を省みますれば、
いずれの世、いずれの地であれ、真実を求め真実に救われ、真実を開顕せられた方々は、共に変らぬきびしさ、激しさを身を以って教えて下さいました。
ブッダより七高僧、
七高僧より親鸞聖人、親鸞聖人より
蓮如上人、真実の仏法を宜布なされたすべての方々は、等しく四方八方非難攻撃の的になっていられます。
しかもこれらの方々は
「仏恩の深きことを念じて人倫の弄言を恥じず」
と
忍耐し
「これなお師教の恩致なり」
とほほえんでいられるのでございます。
それどころか
「
念仏者は無碍の一道なり、
天神地祇も敬服し魔界外道も障碍することなし」
と獅子奮迅の活躍なされているのでございます。
親鸞会の先生また然り、血みどろの聞法求道の最後に、
衆生苦悩我苦悩、衆生安楽我安楽
と呼び給う
阿弥陀如来の大慈大悲に驚嘆なされ
「叫べども叫べども声を限りと叫べどもなぜにとどかぬこの六字力とぼしき我を悲しむ」
と
懺悔と法悦にむせびながら破邪顕正の先陣にお立ち下されました!!。
打てば響くが如く、四方八方の道俗から
「あれは異安心じゃ、間違いじゃ」
と非難攻撃の火の手があがりました。
かかるゴウゴウたる非難攻撃の真只中にありながら、
親鸞会の先生はまだ御恩報謝が足らないその御催促だと頂かれ、
八方無敵の覚悟で破邪顕正に突撃なさっておられます。
かつて今をときめく邪教創価学会と対決なされ肝腑なきまでに撃破し、
創価学会の者をして「親鸞会にはふれるな」とまで言わせしめられたことは
天下周知の事実でございます。
近くは「念仏さえ称えておれば助かるのだ」
という真宗を破壊する悪魔の坊主を撃破し、
今や全国の道俗の中に一大旋風を巻きおこされているのでございます。
その他毎月の新聞において破邪の利剣のおさまる時はなく、
一切の利害打算は眼中に入れず、
ただ仏恩の深きことに感泣せられながらひたすら真実を叫び続けておられることは、
皆さん御承知の通りです、ブッダは
「よこしまを打ち破り真実の仏法を明らかにしないものは仏弟子に非ず仏の怨である」
とまでご遺言なされました。
さればこの
仏教の教えに準ずる者こそ最も賢く、最も勇気があり、最も偉大であり、最も幸せ者といわなければなりません。
故に親鸞聖人の教えは全人類の生命の源泉なれば、たとえ海がかれ石ただれようとも
親鸞学徒は生命をかけて守りぬき十方に等しく弘めなければならないのでございます。