「君達は同じ仕事をするのに、一日の給料が五千円のところと、千円のところとで同じ気持で仕事が出来るかね」
と仰言った。
「そんな事できるわけがない」
という気持で聞いていると、
「わたしは、こと仏法の事に関しては御
布施が五千円であろうと千円であろうと同じ気持でできるね」
と言われた。そして
「千円の場合には、なおさら一生懸命になれる」と。
真実
弥陀の本願を体得した人と仰げばこそと思うが、私はこの御言葉からも、
親鸞会の講師の真実に対する全力主義の御心を深く感ぜずにはおれなかった。
そしてこの精神は私の求道になくてはならぬものと思った。
この世の一切は
無常である。
私の心も
無常である。
最初は燃えたつ心も、すぐにへなへなと崩れてしまう。
無常であるからこそ、常であるように奮い立たねばならない。
あきらめてはならない。
聞かない心がわかればこそ、屈せずなお一層求めなければならない。
財施は、受け取られた法施を表している。
法施が乏しいから、財施が乏しいのである。
もっと熱一杯に
浄土真宗の法話に立たねばならない。