先日の
浄土真宗の講義で、やはり
後生の一大事の判らぬ私には問題にならないことが問題になることを知らされました。いつも
浄土真宗の教えを通して知らされることは粗末な自分の信仰です。
唯、ひたすら親鸞聖人に頼り従い、一刻も急いで
信心決定に向かって頑張ります。
雪の重みにジッと耐え、その雪をはね返す竹の様に宿善を求めて苦しみに耐え、身をまかせ必ずやり抜きます。
踏みつけられ、どこにも芽を出せない一年だとみつめ覚悟はすでに致しております。
死を覚悟するまで苦しみを求めて突き進みます。
きびしく叱りつけて下さい。
なんとか後生の一大事が判るよう一生懸命頑張ってゆきます。
頭が動かにや 尾が動かぬ。
信もなくて、人に信をとられよ信をとられよと申すはき我は物をもたずして、人に物をとらすべきといふの心なり。人、承引あるべからず。(
蓮如上人)