年改まれば、誰れしも「さあ!!今年こそ」と思う人が多い。
一年の計は元旦にありとも言われるが一体何をやろうと思って「今年こそ」と力んでいるのだろうか。
金か、財産か家か、地位か、名声か、女か、男か、これらが求まれば必ず幸福になれるのだという迷信は人類を支配している。
迷信にこり線香六十束でいぶり殺された娘さんや、悪魔を退散させてやるといい、なぐり殺した事件や、迷信を盲信したが為に医者にかからず盲腸炎が手おくれになって遂に命をおとした人らだけが迷信の犠牲者ではないのだ。
金や地位や名声や女は我々を幸福にする材料ではあるが、それがそのまま幸福ではないのだ。
幸福と幸福の材料を混同している迷信こそ全人類を不幸のドレイにしているものなのだ。
大閤秀吉が聚楽第を造った時、風呂場や便所にまで隠し堀を引いて舟を浮べいつでも脱出できるようにしていたという。
秀吉は少年時代は裸でどこにでもねころんで平気であったが、権力を握り天下を取ると得意の絶頂でありながら内心は戦々兢々としてノイローゼ気味になっていたことは、それを証明している。
料理人の腕
昔と比べれば現代人は驚異的に物質に恵まれていながら
不安と焦燥、
イライラや満たされない
孤独感を酒や女やバクチで誤魔化しているのも同じことではないか。
生け花にしても料理にしても同じこと。
いけ方を知らなければ美しい花はいけられないし料理方法を知らなければ美味しい料理はできないように、いくら多くの立派な材料を集めても、それだけでは
幸せにはなれない。
材料の活殺は、それを使用する人の腕一つにかかっている。
その生かし方を教えたものが真実の
仏教なのである。
そのことは
ブッダの伝記を少しでも知れば明白なことである。
釈尊、親鸞聖人の幸せ
釈尊は印度のカピラ城主、浄飯王の長子として生れている。
生まれながらにして最高の地位、名誉、財産に恵まれ思うままの生活が与えられていた人である。19才の時には国内第一の美人といわれたヤショダラ姫を妻として、翌年、
ラーフラという玉のような子供さえ生れている。
現代人が幸福を得ようとして願い求めているものを釈尊はすべて持っておられたのだ。
我々がそのうちの一つでも得ることが出来れば、どんなに幸せであろうかと思えるものを釈尊は全部持っていられた。
その釈尊が29才の時、それら一切の地位、名誉、財産、妻子などを捨てて城を抜け出し、どこに真実の幸せがあるのかと求めてゆかれた。
現代人の迷信を身をもって打破なされているではないか。
わが
親鸞聖人もまた然り。
藤原家という立派な家系のもとに生れながら幼くして両親に死別したことによって
無常に驚き9才にして一切の地位も名誉も財産も捨てて比叡山に入り20年の苦行に身を投じ、真実の幸福を追求なされた。
しかし
天台宗の教えでは真実の幸福にはなれぬことを見ぬかれ、泣き泣き山を降りて
法然上人にめぐり遇われて
阿弥陀如来の本願に救われた。
それからの聖人の御一生はまさにイバラの道であった。
破天荒の
肉食妻帯は堂々たる世間の渦を巻きおこし三大諍論は背師自立の横着者の親鸞と法友から攻撃される結果を産んだ。
84才には愛する我子
善鸞さえも真実のみ教を護持する為に断乎勘当なされ聖人の御臨終には末娘覚信尼とわずかのお弟子しかいなかったといわれる。
聖人には現代人が夢みている幸福の材料は何一つなかったが、一度聖人の著書を開けば慶ばしきかな慶ばしきかなと魂の底から我身の幸せを絶叫していられる。
歎異抄には
「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば偏えに親鸞一人が為なり、さればそくばくの
業をもちける身にてありけるを助けんとおぼし召したる本願のかたじけなさよ」(
歎異抄)
と全人類の真実絶対の幸福になれる道は
阿弥陀如来の本願よりないことを叫びつづけていられる。
されば「今年こそ!」の我々の目標は自ずと明らかであろう。
浄土真宗の法話を聴聞して
信心獲得することである。