親鸞会の講師の先生があるときこんなことをいわれました。
「
聴聞するうえにも、仏法を伝える為にも、仏法を求める前の気持と、聞き始めた当時の自分の気持を忘れてはならない。日記等に書いておくとよい」
ギクッときました。
浄土真宗の法話を本格的に聴聞し初めて早くも5か月、
もうあの時、あの頃の事を忘れかけています。
このように続けていわれます。
「自分で約束した事を、守るか破るか、それは自分自身の意志一つである。
他人がどうこう言うものでない」
分かるようでどうもホッコリしない。
「私は君達を信じきっている」
ああ……なんという尊いお言葉でしょうか。
他力信心の、その一面を見せて頂きました。
「私は先生を、信じきっています」
といえる身に早くなりたいと思います。
持戒を心がけ、最初の頃どういう気持であったかを忘れず、聞法いたします。
名号を称ふる功徳をもって往生を成すべからず、
聞というは善知識にあふて本願の生起本末をきくなり。
ききうるにつきて歓喜の一念治定す。
この時にあたりて即得往生住不退転す。
(覚如上人)