親鸞聖人を坊主だと思っている者は非常に多い。
しかし、それは大変間違っている。
なぜなら
親鸞聖人は、その主著『
教行信証』に自ら非僧非俗と仰言って、
親鸞は坊主ではないと明言なされているからである。
300年程前の
真言宗の師蛮の書いた『
本朝高僧伝』には、日本へ
仏教が伝来してからの有名無名の日本の僧侶1600人以上の名をあげ、それらの伝記をのせているが、
浄土真宗の親鸞聖人の御名がのっていない。
あるオッチョコチョイの歴史学者は、このことから親鸞聖人を架空の人物ではないかと宣伝したことさえあった。勿論それは極めて非科学的な非実証的な暴論であることは、その後の聖人の筆蹟研究や、新史料の発見などによって、いかんなく証明せられて、今では全く問題にはならない。
“本朝高僧伝”に見えぬ親鸞聖人の御名
されば、どうして師蛮は、わが親鸞聖人の御名をぬいたのか。彼は親鸞聖人の御名を知らない程の無学者であったのか。否、あの75巻の大著をよめば、とてもそんなことは考えられない。その著書に記載している幾多の無名の
僧侶あることを知れば増々明らかである。
彼がその著に親鸞聖人の御名をぬいたのは聖人に対して無知であったどころか、熟知していたからこそ親鸞聖人の御名を故意にぬいたのである。なぜなら彼は、親鸞聖人自から
非僧非俗と宣言なされていたことをよくよく知っていたからである。
このように他宗の者でさえ親鸞聖人を坊主でないことを知っているのに今日
浄土真宗の人達が、わが聖人を坊主だと思っているのは宗祖に対して如何に無知無理解であるこかが判るであろう。
親鸞聖人は常に「私は加古の教信沙弥の如くになりたい」と仰言っていられる。
教信沙弥という人は、もと奈良の興福寺にいた学徳兼備の学僧であったが、ある時奈良の町に好きな女が出来たので寺を捨て坊主をやめて播州の加古川の岸で、その女と一緒に渡し守りをして一生暮した人である。
随分、戒律のやかましい時代に学もあり、徳もあり、真面目な心を持っていた人が、自分をごまかさずに生きぬいたところに聖人は深い同情と親しみを感じられていたのであろう。
生きた人に生きた仏法叫ぶのみ
私を坊主だと思って「お
寺さん」「御院さん」「お坊さん」「オイ坊主」と言われて、時々、苦笑することがあるが親鸞聖人でさえ「オレは坊主じゃない」と仰言っているのに、私が坊主になるはずがない。
事実、私には僧籍もないし
寺にも住んでいないし
葬式一度したことはない。
法事も
墓番も、およそ坊主のするようなことは何もしたことがない。
ただ私の日々は、生きた人間を生きている間に絶対の幸福まで導く為に、
浄土真宗の法話で真実の仏法を叫びつづけているだけである。
その為に一切の職業につく暇がないので、その意味では親鸞聖人と同じく非俗である。
坊主ではないが一般在俗の人々とも違うのである。
親鸞聖人を唯一無二の師表と仰ぎ全生命を真実の仏法の開顕に托する私は親鸞聖人の歩まれた非僧非俗で一生を貫くつもりである。