「そんなつまらんこと考えている奴は人生の敗残者だ」
とうそぶく者が多いが
一日生きたということは一日死んだということを
知らない奴の言うことだ。
凡そ、生ある者で死を嫌わないものはない。
4は死に通ずると、どの病院でも4号室は嫌われる。
ヨン号室と呼んで
不安をごまかそうとしている。
神経質な者は朝、霊枢車に出逢と家を出なおす奴さえいる。
出来るだけ死という事実に目をそむけてゆこうとする。
たまたま考えても、それは他人の死で自分は永久に生きるつもりでいる。
近親者が急逝するとハッと自分に帰るがそれは束の間ですぐ忘れる。
人間は自己の死に直面した時、最も人間らしい人間に立ち帰える。
かつては総理大臣、陸相、参謀総長、内務、文部、軍需、外務の各大臣をつとめ、
まさに飛ぶ鳥も落す勢いを持った
東条英機さんも、
板敷の上にワラ布団と毛布五枚しか与えられぬ拘置所の片隅みで
「判決に財産没収の宣告なかりし故に用賀の宅地(自邸)は
そのまま使わさせて頂けるとは有難いことだ」
と赤児のように感謝している。
そして最後に
「敗戦者、然も最高の責任者であった私として
極刑を受くるは当然であるが、
たど敗戦と戦禍に泣く同胞を思う時、刑死するも、
その罪は償い得ないのをどうすればよかろうか」
と慚愧
念仏している。
「今死ぬと思うにまさる宝なし
心にしめて常に忘るな。」