人それぞれのいただき方で
先日教授も交えた教職員の或る会合で、
仏教に帰依し親鸞を最も崇敬すると自称するある人いわく
「最近実践倫理云々なる会にも出席し我が身を深めることに努めているが、
もう親鸞の大悟徹底の一線がどうして分るか考えている所だ」
と付近の人を魅了しだしました。
苦労人という彼の理くつは一応もっとものようだが
余りひどいので筆者曰く
「あんたの話の中に出た、神とは正体は何ですか。
また仏とはどんな方ですか」
と尋ねると
「それがおぼろげに絶対者だと思うが…」
重ねて筆者は
「あんた程はっきりものを割切っていく人が最も帰依すべき
神とか仏とかの本位正体をはっきりしないで帰依ができますか。
感謝をするともいわれたが何にどんな感謝をするのですか、
さらに生徒に宗教をもって正しい導きをするといわれたが、
どんな基準をもって進めるのですか…」
とやれば、あたりの空気一変、ウーン。
そこでおもむろに大学教授曰く
「君ちょっときおい過ぎているぞ。
こういう問題は人それぞれのいただき方があるもので、
せっかくよい話をしているのに突きさす様なことはいうものではない…」
とたしなめ給うた?こんなそれぞれのいただき方の心が世を毒し、
邪教をはびこらせるのだ!!
世の中にはこの大学教授のように
宗教も
仏教も分らぬのに
平気でのさばる智識ある文盲の徒が多い、打破すベし。