十五夜のお月さんに呼び出されて私のお月さんをみた心持ちを思い出してみました。
私は19才の春、あこがれと嬉しさを胸一杯ふくらませて
今はなき夫のもとへ嫁ぎました時に見たお月さんは、
あこがれの楽しいお月さんでした。
身も心も捧げ愛した女の嬉しさ幸福は何ヵ月続いたことでしょう。
浮世の嵐に吹きまくられて世の中を知らぬ愚か者の私は夫に死なれた時は
ただただ泣くばかりでした。
この時のお月さんは咬々と照らせども私の心は真の闇夜でした。
噫それから25才まで迷い迷いてどうしたら真の幸福、満足になれるのだろうかと
悩み苦しみ狂い廻った私は遂に
「欲ふかき人の心と降る雪はつもるにつれて道も判らぬ」
の歌のごとく私の身も心も遂に何十メートルもの地下の穴に堕ちたる心で
手も足も身もどうする事も出来ず、ただただ泣くばかりでした。
この時でした。
おろか者よ、お前の欲によって穴におちて苦しみ悶えている愚か者よ、そのまま救うぞ!!
と私の心のドン底へ聞えて参りました。
ああ何ということであったか、
不思議、
不思議と手を合せて
ありがとうございましたと始めて
南無阿弥陀仏と称えました。
ああこの時、明るい明るい私の心を照らす十五夜のお月さんを見たのです。
何たる愚か者であったことか、
自業自得で苦しみながら
人を憎み世を恨んでいた私に呆れて
懺悔せずにはおれなかったのです。
ああ今日まで我身と縁あった。
人々はみんな私を導かんが為の善知識であった、
弥陀の使者であったと明るい喜びの力が湧いて参りました。
暗い暗い心から、どこの果てまでも六字と共に飛んでゆける喜びが湧いてまいりました。
それからの私は
煩悩の雲は常にかかれども
下に闇なき如く苦しい人生なれど朗らかに暮らさせて頂けます。
今日
親鸞会の講師の先生、
また法友のみなさまと共に
浄土真宗の法話を
聴聞できることを喜んでおります。