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浄土真宗親鸞会の内部情報と法話の評判

親鸞会がどんな団体か一人でも多くの人に知って頂くため、親鸞会の内部情報を公開していきます。客観的で公正な判断の材料にしてください。

何の間違いか獲信できました

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何の間違いか獲信できました

始めて親鸞会にあわせて頂いたのは今から16年も前、
当時17才の春であった。
 仏教の根本から分り易く説明され、
それに熱のこもった一語一語が身にしみるようでした。
その8月親鸞会の講師は
「獲信の近道は無常と罪悪をとりつめる事だ」
とおっしゃった。
年取った人も若い人も無常の齢は同じだ。
人間に生まれたその日から冥土の旅三途の川に一歩一歩近づいている。
今日一日もとり返しがつかない。
そして毎日の日暮らしが地獄行きの種ですよ。

 話はわかるが腹の底は少しも知らぬ顔。
この根性だまをおどろかそうと食べたい御飯も食べないでみたが徒労に終った。
生れ難き今生に出させてもらったからには、
どうしてでも後生の一大事を解決しようと心に誓うものがあった、
それからは一語も聞きもらさじと歯をくいしばって一生懸命に聞いた。

むさぼる様に正信聖典を読んだ。
毎晩寝る前に妹と2人正座して求めても眠気に負けてしもう。
これではいけないと思いながらも10日も続いた、
どれだけ考えてみてもまるで雲をつかむよう、
若い身空で少し早かったようにも思えるがまたほうってもおけない。
翌年、次々と御縁があって浄土真宗の法話を聞かせてもらう事ができた。
一言でも余計に聞きたくてならなかった。
当時御説教の間の一休みもなさらず御初夜の後は
夜明けの4時頃までも聞かせて下さった。

 虚しい日が流れて洋裁を習いに行く気もせず自分の服を
いつ晴ればれとした気で着られるのかと思うとかなぐり捨てた。
朝から部屋に閉じこもって求めてみたが今日も駄目だった、
父母は忙がしい忙がしいの野良仕事、
会社に行っている友達はいくらかの給金、
私には何が残ったろうか。

求めよ求めよとあせる心が仏の胸に五寸釘
五逆罪だけが残った私は何と馬鹿者だろう。
しぶとい心つまみ出せるものならつまみ出してひっぱたいてやろうものを、
自分の顔や手をつねったり叩いたりした。

明るい日家にじっとしてもいられず自転車に乗って浄土真宗の法話へと走った
まるで宙を走っているよう、泣き泣き私の心境をお話しすると
「あんたのこれまでびくともしなかった。大磐石が動きだしたのです。
今すぐ浄土真宗の法話へ行きなさい、
親鸞会の講師は今病気が治っておいでるから」
と地図まで書いて下さった。
私一人で行く気もせず妹ら三人で行った。
親鸞会の講師は
「どれだけ聞いても分らないから、あんた無宿善かも知れない」
とおっしゃった。
無宿善だったらどうしよう、
ただ今救われるものならその代り死んでも良いと思った。

 進もうにも進まれず二河白道のたとえと一緒な気持ち。
熱病にとりつかれた様一日のつらい思いが長くて長くて寿命がちぢまる様、
浮かぬ顔をしているので母が高波へ行きなさいとすすめて下さった。

高波では申し分けない気持で一杯。
あんなに泣けたのは生まれてから始めの終り、
しまいには泣く涙も枯れ果て、ただヒックヒックと泣きじゃくっていた。
この世のお金一銭も親も家も何一つもいらない。
今度こそ解決できなかったら家へも帰るまいと思うと渦巻く濁流が目にちらつく。

 中食も食べる気がしない私はこれだけ苦しんでいるから地獄へ落ちても
人以上に一番恐しい所に落ちると思うと
9月の始めでまだ暑いのにガチガチと全身の震えが止らなかった。

ああ皆さんは助っても私には助かる縁も手がかりもなかった。
三世の諸仏にも見放された私にはこれ以上どうにもなりませんと
五体を投げ出したと同時に私の心に一大転換が起こり
今までつらいの助かりたいの思いはどこへやら
身も心もスーッと軽くなって
今まで泣いていたのが急ににっこり笑えたじゃないか。
何を求めていたのか。苦労一ついらないのにただもただか
この身に救われたのも如来様始め
親鸞会の講師の導きがあったればこそ。

何の間違いやら不思議不思議
私の様なものが勿体ない身にもあり余る幸せ有難うございました。
いつ死んでも良い、その日が私の心には終生忘れる事ができない
一大旋風娑婆には多くの被害を残した台風の吹きまくった日であろうとは
私の様な者でも助かるものを皆さんも一日も片時も早く
後生の一大事を解決される事を念じます。

南無阿弥陀仏 合掌
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