今度は滋賀県の青年部において、
最近ばっこしている霊友会なる邪教徒が
浄土真宗の若い親鸞学徒に毒牙をもって迫り、人をまどわし、
世を毒することを甚大なることを知り、
法論対決を行ないその誤まれる所を余すところなく示摘し、
親鸞聖人の教えを開顕したのである。
教義もなく、根拠もなく邪盲群盲を呼ぶ悲しい姿に
ただあきれるばかりである。
親鸞学徒は勿論、真実を求める人々よ、
露命を如来聖人に捧げ尽くそうではありませんか。
霊友会滋賀支部を訪れその支部長を待つ間約1時間40分、
彼等の勤行をきかされる。
支部長到着
霊友会:あなた達は何宗教ですか。
あなた方はどんな教えを信じているのですか。
霊友会:始めに言っておきますが、私は仏教の勉強はしておりませんから
霊友会:(答えなし)
霊友会:家を信じ自然を信じ
先祖供養によって私達はいつかは救われるのです。
親鸞会:これは驚きました、いつかは救われるという様な教えで安心できますか。……
霊友会:答えなし
霊友会:キョトンとして、答えは全くなし。
あなた達は私達の信仰を探りに来たのですか?
質問には答えず。仏語なども解らず、
わかり易い言葉で質問するのに一苦労だ。そこで
親鸞会:知らないという無責任なことで人を指導することができますか。
霊友会:あなた達は何を知っているのですか。
どうもあきれることばかりだ。話合い討論にはならない。無智も甚しい限りである。
親鸞会:親鸞学徒は絶対の幸福を求めているのです。
いやあらゆる人間は皆幸福を求めているのです。
しかし私達が絶対の幸福を得るためには真実の
宗教でなければ絶対に助かりませんよ。
真実の宗教は
ブッダの説かれた仏教以外には絶対にないことをわれわれは信じています。
霊友会は何を信じているのですか。
親鸞会:あなた達はその
法華経の行ができますか。やっておられますか。
法華経の行は難行道ですよ。
法華経の譬喩品には
「この法華経は深智の為に説く、浅識はこれを聞いて迷惑して悟らず、
一切の声聞及び辟支仏はこの経の中に於ては力及ばざるところなし」
と説かれてあるでしょうと論及すれば霊友会一同声もなく
おそれ入った姿で聞きいるばかり。
討論をしようとわれわれに迫っておきながらそのふがいなさにあきれるばかり。
いやいや真実の御法の切れ味はかくも厳しく素晴しいものかと、
親鸞聖人をいよいよ讃えずにはおられない。
われわれは念仏を口ずさみながらさらに追求した。
親鸞会:わが親鸞聖人は20年間
法華経の
修行をなされたが、
法華経は我ら凡夫では救われる道ではない事を身をもって体験して、
教行信証の初めに
「それ真実の教をあらわさば大無量寿経これなり」
といわれたのですよ。
法華経ではとてもわれわれは救われぬのです。
霊友会:時代がちがう。…親鸞聖人時代は
出家せねばならなかったが、
今は
法華経でも在家のままで助かるのだ。
いやおそれ入りあきれかえる次第である。一同ただ顔見合せるばかりである。
法華経を信じ
ブッダの仰せを真剣に聞き、この泥凡夫の私の行く道を考えればこそ、
及び難い
法華経に対して、このまま助かるという霊友会の正態とはそも何であろうか。