自ら
日蓮宗を
外道邪教の親玉であると証明しています。
「その念仏無間」という許すべからざる言葉を中心に
対決が行われています。
親鸞会によってかんぷなきまでに破邪され
顕正の実は煙々と冴えています。
どんな難しい言葉を出しても即断明快な
親鸞会の破邪顕正にうだつの上らない青年
日蓮宗代表、
「念仏無間」の証拠もなくなりました。
日蓮宗「そんなに法でやり度いのならあのパンフレツトは中傷的でなく法論で書けばよいのに」
と泣き事をいい出します。
法論をもちかけたのは誰だったのでしょうか。
もちろん学会三代表自身であったのだ。そして言葉がなくなり
日蓮宗「現実に念仏をやっていて不幸になったものが多いではないか。
私も念仏をやっていたのであるが」
と今度は法での根拠がなくなり念仏不幸説に傾いてきました。
「念仏無間ということは法の上から何の根拠もないまちがいでした。
釈尊はそんなことはどこにも申しておられません」
と自白、告白したわけです。
さて親鸞会すかさず、
親鸞会「何、念仏、あんたらに念仏が分るのか。
一体念仏をやったというがほんとうに聞き信じたことがあるのか」
親鸞会「今やったといったじゃないか。何いっているのですか」
前言に責任のないことかくの如しです。とんでもない代表者にアキレかえります。
日蓮宗「僕の家は念仏の家だが不幸だった。親戚もそうであった」
親鸞会「
浄土真宗の家に生れたらそれがそのまま念仏宗の信者だと思っているのかね」
蓮如上人のお言葉に
「
信心を知れるをもって門徒とす……」
というのがあります。
日蓮宗「話はどうでも念仏をやって不幸な者がたくさんおる」
また始った無茶苦茶論法です。
親鸞会「不幸になったというのなら
日蓮宗に入って不幸なものは沢山いるよ」
今度はあばれ声でおどすつもりか。
暴力団の組長さながらです。
邪教の正態今盛りなりです。
親鸞会「もっと静かに落付いて話しなさいよ」