親鸞会の講師の座談会の記録を掲載しておきます。
「真実絶対の幸福を得る道は一つしかない、
唯一であるから二つはないはずです。
しかしながら世にいろいろの
宗教があり皆々信仰者はこれをきき喜び、
そして絶対と叫んでいるのではありませんか。
それがどうして一方が正しく一方が誤りであるということができるのでしょうか。
これを納得いくようにお話して下さい」
親鸞会の講師「信んじているものの立場からすれば、
いずれも自分の方が絶対なのでしたがって
他が誤りであるということばが出るのは当然のことで、
それは全く水かけ論です。
ではどうしてわれわれがこれを見定めるかが問題です。
それには教義を調べることが大切であり
その教義を客観的に文字に表れているものを調べることです。
信仰は主観的立場になる故、教義の解釈が大切です。
論理的に冷静に見ねばなりません」。
「われわれは
キリスト教などは大変しっかりした教であり
世界にその信者も多いと思いますが、これはどうでしょう」
親鸞会の講師「確かに
仏教と並んで現在世界の二大
宗教の一つです。
けれどもよく見て下さい。全く驚く程矛盾を含んでいます。
一寸頭の働きのあるものならまともに受けとれないものです」
「それはほんとですか」
親鸞会の講師「今からその矛盾したところを2、3示してみましよう。
私はかつて大学時代に熱心に
キリスト教の教義を聞いてみました。
そしてどこに真実性があるのか、その牧師の話、
バイブルを聞き調べました。
そのバイブルに
1「とにかく信じなくてはならない天地は
神が創造したのである。
天地万物は神が造ったのである」と。
2「イエスは処女降誕である」と。
4「アダム、イブに
神は禁断の実を与へ食べさせる。あやまちをさせた」
6「この
神が全智全能でない証拠に30歳のキリストが十字架上で救われざる告白をした」
こんな道理に合わない教え、因果の理に外れた教えを
まのあたり見聞いてみなさんはそれでも正しいと思いますか」
「とても滑稽になりますね」。
親鸞会の講師「そうでしょう、冷静な頭で聞かないと
幸福どころかとんでもないことになりますよ。
こういうのを
外道というのです。
本当の
幸せになるには、因果の道理に立脚して説かれた
浄土真宗の法話を聞かなければなりません」。