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浄土真宗親鸞会の内部情報と法話の評判

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ジャーナリスト翁久允氏の仏教に対する無知

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ジャーナリスト翁久允氏の仏教に対する無知

 以前『北日本新聞』に翁久允氏がこともあろうに
南無阿弥陀仏」と表題して随想を発表したことがある。
記憶している読者も多いと思うが
余りにも南無阿弥陀仏を冒読したものであったので
同紙の投書欄で叩かれたことがある。
一般にインテリと言われる人々の阿弥陀仏観、
南無阿弥陀仏仏観を代表したものであるから、
ここに親鸞学徒の破邪顕正の資料にして頂きたいと思う。
翁氏の随想
阿弥陀仏とは、この大自然、即ち全宇宙そのものの表現としたものである。
つまり宇宙は無始より永劫にかげて変らないものだから
これを仏体に見立てたものにすきない。
南無とは度我とか、救我という意味だから南無阿弥陀仏とは
「大自然の法則に刃向うことなく私は生きてゆきます」
ということなのである。だから一番楽なのは南無阿弥陀仏的にゆくことだ。
努力とか奮起とかしなくとも、死んだら必ず極楽にゆけるのだから。」
反論(要旨)
 これに対して「不面目な真宗」と題して次のような投書があった。
「去る十七日紙上の翁氏の南無阿弥陀仏論を読んで
不快な気持を感じたのは私一人ではなかろう。
自他共に認める真宗王国の新聞紙上なるが故に
独り翁氏の独断的名号観として一笑に付するには
余りにも真宗を冒読したものといわねばならぬ。
南無阿弥陀仏は真宗の専売ではないが、
親鸞聖人の開闡した真宗教義の生命が南無阿弥陀仏にあることは
世間周知の事実であり、親鸞をして北越や関東の風雪と闘わしめ、
蓮如をして応仁の戦乱の真只中に猛進せしめ
たたくましい仏教魂も南無阿弥陀仏をぬきにしては考えられない。

南無阿弥陀仏と云えば親鸞聖人を連想し、
真宗を相起する北陸であり大衆である。
思想や言論の自由は尊重されねばならないが、
かかる伝統と背景を持つ南無阿弥陀仏を表題として
社会の公器に発表すればたとえ、個人の随想とは申せ、
読者に与える影響は決して小さいものではない。

この点、真宗布教の責任ある学者は決して黙過すべきではない。
若し、さわらぬにたたりなし的態度で
真実の南無阿弥陀仏の顕正を怠るならば
親鸞聖人と似ても似つかぬ南無阿弥陀仏観が、
そのまま大衆の常識となり、
親鸞が生命をかけて開顕し伝えた極善最上の妙法も本旨を誤り
真実の救いを求める大衆の期待に反するものである。
顕正なれば破邪自らなる。
この際、真宗学者は真宗の南無阿弥陀仏観を顕正し
大衆の迷妄を開くべきだ。親鸞聖人の教法を信奉し、
同信の友を求める一人として憂えずにはおれない」
(戸出町 深松賢雄教諭)

阿弥陀仏は、大宇宙とか
全宇宙そのものを表現したものではなく、
仏である。
恥ずかしいので翁久允氏は
もう少し仏教を勉強したほうがよかっただろう。
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