親鸞聖人が比叡の山で難行の20年、
自力及ばず阿弥陀仏の本願に救われ、
永遠に変ることのない生の
宗教、浄土真宗を立てられ、真教真宗是也と叫ばれた。
以来、700年を経た今日、浄土真宗の有様はどうであろうか。
死の宗教ではないか!
既成教団の大伽藍の面目の上にアグラをかいているではないか。
祖師聖人は四面楚歌の真只中に波乱万丈の御生涯を命をかけて不体失
往生、現生不退を説かれた。
この御教えはどこへ行ったのであろうか。
この機をねらって、幾多の
外道邪教がキバを鳴らして迷える大衆に、
また何か心の糧を求めずにはいられない若人に、
泥水を飲ませんと迫っているではないか!
誰がこの五濁の世に
阿弥陀如来の
慈悲を伝えるのか!
この時、忽然と親鸞会の講師の先生方が破邪顕正の利剣かざして現われ、
無明長夜の灯炬たらんと昼夜をわかたず、御苦労して下さるのであります。
700年前の祖師の紙衣の一御生涯もかくやあらんとしのばれるのであります。
この絶対唯一の親鸞会青年部に入り、
遇い難き善知識の御教化を受ける私は、
命をかけて青年部の使命である破邪顕正に邁進しなければならない。
現実の苦悩にあえぎ、何かを求め、飢え続け、渇き続けている大衆に
美味しい清水をふんだんに与えねばならぬ。
生きているただ今から大満足に救われる平生業成の素晴しい浄土真宗の御教えが、
死んだら助かるの死後業成の教えのように宣伝されている為に、
消極的な希望のない、
諦めの生活を教えるのが
浄土真宗だと大衆は思っている。
こんな教えでは青年に何の魅力があるというのだ!
死後の救いよりも、この苦悩うずまく人生をただ今どうすれば幸福を得られるのか、
たくましく、明るく生きて行けるのか、只これだけを切実に求めているのではないか。
だからこそ死の宗教といわれるのだ。
誤った浄土真宗から邪教に入り泥水を飲むことは無理からぬ事であろう。
今まで美味しい清水を与えるものがなかったからだ!
なんとなげかわしい限りであろう。
飢え渇き続けている人達よ!
今ここに美味しい清水がコンコンと湧き出ているぞ!
それは浄土真宗親鸞会だ。
弥陀の本願の清水は
ブッダ以来、
数々の善知識により一器の水を一器に移すが如く、
現代の善知識に移された!
さあーみんな!この水を飲もうではないか!
ブッダは「破邪顕正せざる者は仏弟子に非ず」
と御遺言なされた。
これを金言とされる
親鸞会の先生に続く私は、
この若き血潮に命をかけて、コンコンと湧き出るこの清水のありかを、
まず私の友人に、いや!全日本の若人達に
浄土真宗の法話を叫び続ける決意であります。
この身体、この声の続く限り!若者よ、早く早く親鸞会青年部へ来れ!!