ひまさえあれば寝たい、喰たい、楽がしたい。
それでいて助りたい
欲望だけは人一倍!!
テレビの前になら一日中でも座っているが、
浄土真宗の法話や
おつとめで、
仏の前ではただの5分も座っておれない。
こりゃ一体どうしたことか!!
阿弥陀サマー阿弥陀サマーと呼んでみると、
『面倒くさい、どうでもよいわい』
とあくびする。
砂をかんだようにあじきない。
これでも仏が尊いか!!
仏の前に坐った時は、ほんのしばらくありがたい。
ものの五分も念ずれば尻がムズムズ動き出す。
どうにも仏が嫌なのだ!!
親鸞聖人このことを
『
浄土をねがう人は、いつわりへつらいの心のみなりと聞えたり。
世をすつるも名の心、利の心をさきとする故なり。……
懈怠の心のみにして内は空くいつわりかざりへつろう心のみ常にして、
真実なる心無き身と知るべし』
と悲しんでおられる。