今回の大法会に参詣し、文字通り
「ひとえに往生、極楽の道を問い聞かんがために」
馳せ参じた、満堂の有縁の親鸞学徒、感激又新たな涙をふりしぼった。
午前九時より
勤行が始まり、続いて、青年部の純情な叫び、
「このこと一つに命をかけましょう」
に一同同感の拍手を送る。
続いて
歎異抄の御法話。
先月より始められたこの
浄土真宗の法話はいよいよ佳境に入る、
世に広く
歎異抄の講話はあれど骨ぬきばかり、
浄土真宗の
信心の極致をいいあらわされた、
この聖教は
「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべき」旨の
「
念仏」の一字取り間違えてはならじと、
他力信心の体験をぶちまけての大獅子吼。
親鸞会のひとり輝やく。
歎異抄を扱うもの無数なれど聞きもせぬ
自力の心で
(いやそれさえもない無信仰の心で)説く人数多い中に、
親鸞会の先生の血のにじむ体験からほとばしる
念仏の深さ—
ここに
親鸞会の特色があり、真実が生きている。
午後は青年部の意見発表会、夜は青年部の劇、
二十三日の午後は劇再度上演。
感激の涙ぼうだとして止むことなく報恩講は無事終了した。
またの御縁を胸に秘めて……。