以前、黒い霧で騒がれた政界その一掃を期して行われたのが次の総選挙であった。
しかし当選した人の顔ぶれはといえば旧態依然の感がある。
新人も出るには出たが、国よりも地元で名を成さんとする者とたとえ騒がれようとも地元へ尽す人にと選ぶ者。この名利のくされ縁は絶ち難いと見える。
世間の事をやっている時は、これこそが絶対間違いないと思ってやっても、
過ぎてしまえば夢である。
仏教は後になって、そうだったなあと改ためて思い知らされる事ばかり。
そこで仏教一つにと精を出すが、やがてまた頭をのし上げてくるのが、
かの名利の心である。
「火ふき竹の根っこは薮の中」
我々の迷いは疑情にあり、
煩悩は障りにならぬと説かれているが、
信前の者にとっては
煩悩が邪魔になる。
この自力、他力の水際を明らかに説くところは
親鸞会をおいて今やない。
法は人の上に輝く、時あたかも長期計画が発表された今、
全会員総決起して、真実宜布に立ち上がろう。