親鸞会の講師30名が一斉に布教に飛び立った。
阿弥陀如来の照育のもと重大な使命を担って布教戦線に立った講師連は各地で大活躍をはじめた。
絶対の幸福の運び屋さんを迎えて大概の人は二度ビックリするという。
まず講師の年令が若いことにビックリする。
ほとんどが20代だからである。
「こんな若い者に何が話せるか」
と半信半疑のまま、聞いてゆくうちに、ズバリ核心をついた内容、堂々たる話しぶりに目をパチクリ、かくして二度目のビックリ、やがて驚嘆のウズがまきおこる。
そのウズは次第に大きくなり、既成の布教戦線に大きな異常をきたしつつある。
弘まる真実の輪
研修をへて、
聴聞はいうに及ばず、教学、破邪顕正と文字通り真実一路を歩み続ける講師達、仏とも法とも知らなかった青年が数年のうちに立派な三界の大導師に成長したのだから驚き入る。
これ偏えに
親鸞聖人の御教導の賜物であり、親鸞学徒の暖かい励ましと力強いバックアップあったればこそである。
かくして正法弘宣の宝刀を授かった講師達、早速それを振りおろすべきだが、最初から招いてくれる人はいない。
そこで自ら有縁の人を求めて布教開発がはじまる。
親しい人でさえ仏縁のない人は法座を開かない。
まして見ず知らずの人に御法座を頼んでも、座をもうける人は極めてまれである。
「20分でも30分でもいいですから話させて下さい」と頼んでも、
「おまえみたいな者に何ができる」とすげなく断られることもあれば
「いまは忙しくてね、この次にして下さい」と体よく断られたり、
おいそれと御法座のできる場所は見つかるものではない。
しかし講師達は屈しない。
「どこかで必ず有縁の方に遇える筈だ、遇えるまで廻りつづけるぞ」
と雨の日も風の日も東に西に南に北にとびまわった。
親鸞学徒にも呼びかけ、布教開発の協力を頼んだかまさに二人三脚の布教開発である。
その甲斐あって真実の芽はあちこちに発芽し、しだいにその範囲は広まっていった。
今日・科学偏重の時代から生きがいの探求の時代へと叫ばれるようになってきたが、それが見い出せない現今、永遠に輝く祖師聖人の真実の法水はまさに旱天の驟雨、ひとたび本当の仏法のド真中を聞いた人はみな驚き入り、賛同の色を濃くしている。
その反響たるや絶大、日ましに期待は高まっている。
かくして私は布教開発した
私がこの布教開発に本格的に動きはじめたのは三月からである。
それまでの親鸞学徒だけをたよりとした消極的開発から、もっと見ず知らずの所へ行っての積極的開発へと心新たにし、単身、宇奈月という町へ向った。
ここぞと思う家に御法座させて下さるようたのみましたが、いぶかしげに私をながめて
「私らチャンと手次の寺があるから別に聞く必要ないです」
と全く話になりません。
あちこちと回ったがやはり同じ、
「ここは仏縁のない所か」
と思ったりもしたが、せっかくここまできて……と思い、
一か八かの気持で最後に
浄土真宗の
寺へ飛び込んだ。
ところが意外、その寺快く承諾してくれた。
日時も決めた。
「さあ、これで宇奈月の人と縁が結べるぞ」
とその日を心待ちに待った。
いよいよその当日、私は全力をふり注いで話した。
初めての私の話に一同目を白黒させていた。
それどころか、ある方が私の部屋へ来られて
「こんな素晴しい話初めてだ。
これは是非オラの村の人にも聞いてもらいたい。
どうかオラの村へも来て下さい」
とお願いされた。
願ってもない事である。
さあー有縁の方を求めて又歩きつづけるぞ!