阿弥陀如来はこの世でなく死んだら救って下さるのだと思いこんでいました。
だから今の苦しみをどうしてよいのかわからず苦悩しました。
幸福そうな他人を見ると、私はどうしてあの身になれないのかと
日夜苦しみました。
死んでしまうかと何度か
自殺を思いましたが、
今、死ねば私のような悪人は、
阿弥陀如来が助けに来て下さるだろうか、
もし来て下さらなかったら真暗闇の中に堕ちねばならないと思えば
死ぬこともできず、
この世の人々に見捨てられた私は何をたよりに生きてゆけばよいのか、
心は真暗になった時、心の底から仏と知らされました。
私はハッとしました。
その時、仏とも法とも知らなかった私でした。
他人に勧められて
親鸞会の
浄土真宗の御法座に
お参りにゆきました。
親鸞会の
浄土真宗の法話の一言一言が嬉しくて
心の目がさめた思いでした。
雨の日も風の日も毎度
親鸞会へお参り致しました。
そのうちに私は自力、他力さえも知らずにいた
愚かな奴に気がつきました。
今の自分は自力であるのか、
他力であるのかわからず大きな疑心が起きてきました。
親鸞会の講師の先生が
いつも自力他力の水際を言われる度に
早く救われたいと思い、
どうすればよいのかと日夜
阿弥陀如来をたのみました。
たのめば自力たのまねば救われず、
捨てれば気にかかるし泣き泣き求めてゆきました。
その時、絶対助からぬ自分のこの奴に気がつきました。
一切のものに捨てられたこの奴は、
堕ちるより外にない奴と知らされた時と同じに
明らかな
阿弥陀如来の本願に救われました。
私は嬉しくて嬉しくて身も心も踊り上って喜びました。
不思議、
不思議と叫びました。
懺悔の涙をどうすることもできませんでした。
この身に救いとられて一年余り、
なんの間違いで救われたのかと思わずにおられません。
これも
親鸞会の講師の先生の御教導があったなればこそと
喜ばずにおられません。
みなさん、真実の世界があります。
急いで求めて下さい。
明日とも知れぬ生命です。
手をつないでゆきましよう。