親鸞聖人生れ給うてより八百年
蓮如上人出で給うてより五百五十年、末法濁世のこの世代に、
弥陀の深法をわれわれに正しく教えんと、
不世出の三界の大導師が出でられ、
親鸞学徒はまず無上の幸福者といわなければならない。
内外ともに鷲のマークに吹く嵐は強けれど、
南無の六字に生きる
親鸞会の意気は高く、
ここに親鸞会滋賀会館の落慶は劇的な幕を切っておとす事となった。
末法五濁の今、この快挙のあること誰が予測できたろうか。
唯弥陀一仏のみご存じのことと、逆謗のこの身は感泣するばかりである。
思えば親鸞会が先生の血涙ほどばしる真実の絶叫によって、
乱れた戦後の
宗教界に颯爽として登場、
昭和26年に孤々の声を上げてここに十有五年。
その間昭和32年11月に本部会館を富山県高岡市に落慶。
それより着々として聖使命達成をする中、この滋賀の地において、
如来の教法いやが上にも火をふき、昭和36年頃より滋賀会館建立のきざし日に高く、
強信の当地区一同団結されて遂にこの大滋賀会館落慶の運びとなった。
まさに一大快挙なる。
永久の闇より救われて、今は迷盲に引かれる群盲を助けんと
命をかけての先生の雄叫びの六字の御旗のもと、
幾万の会員ただまっしぐらに破邪顕正に進めばよいのみである。
去る本部会館建立の折、先生は落慶の日開口一番
「マッチ一本で焼滅するこの会館で無量永劫消滅しない
弥陀のみ声を聞こうではないか限りある会館で限りない無上の幸福を獲ようではないか」
と叱咤して下さったお声彷彿たる今。
そして現在
仏教界に塔堂伽藍は乱立しても
白髪の老人クラブか観光物と化している今、
親鸞会のみは立錐の余地もない青年男女の
聴聞者、
これ全く現代の先端を独りゆく雄々しくも輝やかしい姿である。
「怒涛逆巻く声背にうけて親鸞会は独りゆく」
と歌う青年部の歌が耳に轟く。
われわれの願いは勿論このような会館建立でとどまるような微細なものではない。
百重に護り給う弥陀の鴻恩の偉大なるが故に。
それは波涛万里に続く大悲の願船の如くこれから始まるのである。
次には第二第三と各地各支部におけるこの聖堂が建立し、
その昔の
祇園精舎にも似た妙なる称名の声が人の世に行き渉るまで止まぬであろう。
さて最後にわれわれはこのめでたい落慶の門出において、
改めて弥陀の御前に人生最大の幸福、
信心獲得を喜び或いは誓い、
そして
浄土真宗の法話を行い、
如来の遺言破邪顕正に邁進することを誓うものである。
−露の命だ 散らば散れ−