家族四人が真実一路驀進
平和な家庭に生れ、小学から中学と何の変哲もない人生を土台として育った私が、
将来に対して大きな疑問を抱きはじめたのは高校入学した初期の頃でした。
世間の常識化されたエリートコースにあこがれて大学進学を目指して入学したのですが、
今改めて、自己の進まんとする道を省みるに
「たった一度の人生を果たして、こんなにも簡単に決定してよいのか」
と幾度も幾度も自分に問うてみるけれど、どうしてもハッキリとした答えが出てきませんでした。
「どうすればよいのだろうか」
考えれば考える程判らなくなり、こんな
不安な気持で勉強してどうなるんだろう。
こんないい加減な心でどうして意義ある人生が送れるだろうか。
と、それからというものは、このような自分が情けなく思われ、未来に大きな不安を感ぜずにはおれませんでした。
「私は
なんのために生きるのか、何の為に学校生活を送っているのか」
誰も結論を出してくれない。
「友達はみなどう思って勉強しているのだろうか」
いくら考えても、かえってアセリを覚えるばかりでした。
そしてついには、アセリがヤケを呼び、ますます自暴自棄になり、全く
諦めきった生活へと変っていったのであります。
そんな時どのような仏縁があったのか、私の心に善知識のお姿が
不思議と浮かび上がって来たのです。
両親が最も尊敬しており、かって3、4年前、私の家で
浄土真宗の御法座が1、2度なされたこともありました。
あの勇しいエネルギッシュな若い人。
自信に満ち溢れた力強い信念をとうとうと叫んでおられたお姿が、非常に印象的であったのです。
あの自信、そして力強い信念こそ、その時の私にとって何よりの魅力でありました。
親鸞聖人の教えこそ必ずや私の難問を解いて下さるに違いない。
この期待が、日頃の父の勧めも聞かなかった私をはじめて
仏教講座へと足を向けていったのです。
そして
阿弥陀如来に救われた絶対の体験から溢れ出る説法により、私のそれまでの迷妄は、一ぺんに吹き飛んでしまいました。
「あーやっばりここに、私の求めていた答えがあった」
絶対の
阿弥陀如来の大願業力によって、今死ぬといっても微動だにもしない、絶対の幸福になること。
これこそが人生究極の目的、本当の
生きる意味であるとハッキリ知らされたのであります。
それからというものは、一日も早く
親鸞聖人のような幸せの身になりたいという熱望から、学校のあい間に御法座を重ねる日が続きました。
そんなある日の授業中、私に緊急電話がかかって来たのです。
それはあまりにも意外な父の死でありました。
あーなんということか。
今まであんなに元気であった父がもうこの世にいないとは。
信じられない!信じたくない!という必死の願いもむなしく、父は一人
寂しく死んでいきました。
交通事故の為、骨折治療に丸二年の病院生活を費やして、その間、父の懸命の努力が実って、やっと直りかけていた時、心臓マヒであっけなくこの世を去っていったのです。
その時の家族四人のショックは想像を絶するものがあり、特に苦しかった日々を共にしてきた母は、いたいたしい父の遺体に取りすがって、ただ泣き叫ぶだけでありました。
「会者定離ありとはかねて聞きしかど、昨日今日とは思わざりけり」
生あるものは必ず死すとはいいながら、
無常がかくも厳しくはかないものなのか。
日頃、浄土真宗のご法話で
「まだまだと長綱をはいている者こそが死んでいくのだ。
若い若いと思っていても、いつ無常の嵐がやって来るか判らないぞ!」
と叱咤なさって下された説法は全く他人事ではなかった。
「死」は一切の幸福を破壊し、それどころか自分の身体をも持っていかれないという真実の厳しさ、恐ろしさを、身にしみて感ぜずにはおれなかったのであります。
「前者の覆えるを見て後者の戒めとす」
の言諺の如く無常の嵐の吹きまくっている現実を、父は私に身をもって厳しい説法をしていってくれました。
されば一息切れたら
後生の一大事があると聞かされているからには、早くこの身体の元気な時に解決しなければなりません。
ここに父の死があったればこそ、家族四人が共に
仏教を聞けるようになり、そしてここに、今私が仏教の道を目指すことになりました。
決意したからには、真実一路驀進し、一刻も早く、寸刻も猶予なく
信心決定、魂の解決をしなければなりません。
その為には如何なる困難、辱しめに遭おうとも、全精魂をふり注いで突き進む覚悟であります。
もし怠けるようなことがあれば容赦なく鞭打って頂きたく思います。